体罰の話 | 駄馬が行く

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AbemaTVで、某ヨットスクール校長と乙武氏が、体罰をめぐって激論。

これ、大分昔のか?

 

どっから体罰かは、とても難しい。

ただ、校長の言い方は非常に差別的だし人格否定に過ぎるので、気に入らないな。

 

 

 

 

 

 

 

ある家の小3年生が、同級生に誘われてコンビニで万引きを繰り返したことがあった。

詳細は省くが少々悪質で、首班含め関わる児童が何人かいた。

 

捕まった子供が店長に連れられて家に来て、事情を聞いた母親は、頭に来て子供の頭をグーパンチした。

 

厚生省が出してる指針では、これは体罰に当たる。

でもこれ、躾だと思う。

他人の生命財産を脅かす行為と、他人のものを盗む行為は、全力で叱りつけなきゃいかん。その過程で思わず手が出ても仕方ないわ。

ただ、その話を聞いた瞬間だけ、激昂して思わずぶん殴ったとこまで。

以降は、ダメだ。

 

仮に僕が母親の立場だったら、殴らんな。

理由は単純に僕の性格と、教師やってる弊害?だろう。

ただ、手を出さんだけで全力で叱り飛ばす。

 

厚生省の指針にある例は、躾や指導する側の感情が多分に含まれてる。つまり、感情で手を出すなってことだと思う。

それに、暴力でいう事きかそうとする奴ほど、教育力がない。

ただ、特に教育現場では、なんもかんも体罰に、しかも後付けでもされてしまうから、強い指導がしにくい面はある。

 

強く叱られる経験がない生徒は、悪さしてちょっと強めの指示を出されただけで翌日欠席しちまう。

叱られてもないのによ?!

メンタルスライムよな。

 

僕は愛のムチとしての力の行使なんか理由として通用せんと思ってる。

でも、いかんことだということを伝える明確な意志を込めて強く叱責するのはありだとおもっとる。

かつては生徒を強く指導してたし、あんまりな所業ならその場限りで怒鳴ったりもしたが、生徒のためなんて考えたことない。それがいかんことで、他の生徒の迷惑になってるから叱責するだけ。叱る強さは、他にかける迷惑の度合い次第だった。

 

勝手な振る舞いで叱られる。そういう経験すらろくにないんからかな、メンタルスライムな生徒ばっかりなのは。

他人との距離感を測ることすらできない。

果敢にチャレンジ出来る明るい生徒は、割と親が躾に厳しかったりしとるがな。

 

 

 

 

さて体罰。

校長は体罰は教育、暴力は自分の利益のためだと言ってる。

暴力は自分の利益のためというのは同意する。腹が立ったから、気に入らんから手を出す、罰を与える。これが暴力だ。有形力(叩く・怒鳴るなど)の行使は、強い力で相手を抑え込むための行為。

でも、そんな力でねじ伏せ、それ以降恐怖で相手を支配する行為の、どこが教育なんだろう?

教育って、教え育てることだろ。やっちゃいけないことはやっちゃいけないんだと納得させるのが教育だよ。それを、体に痛みを伴わせることで教えると?

力でねじ伏せるののどこが教え育てているというのか。叩けば簡単かも知れん。痛いからその場で辞めるだろう。でも、納得してなきゃ見えないところで繰り返すし、ばれないようにし出すだろう。

校長はさらに、叩かなくても教えられる。例えばヨットで溺れたとき、言うこと聞かないなら助けないぞと言うんだって。

脅しじゃん、これ。

どこが教育?

これを体罰と言わず、暴力なしでも教育できるという言い方をするんだから、デタラメだ。

 

 

叩くなら、暴力だという認識を持って感情で叩けば良い。それを躾だの教育だのと言うな。ただの感情。だからそれを後で罰せられても受け入れろ。

痛みでわからせるってことか?痛みで従わせるってことか?

犬や猫じゃねーぞ。

どういう言い方をしても、暴力は暴力だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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