今日はママの命日なんだ。
2011年。
あの年の今日の昼に、ママは旅だった。
ただあの日は、ママの危急を告げる電話の前に、長女の危急が来たんだ。
施設で過ごしていた長女が、呼吸停止。起床直後に痰が詰まったって。
早朝に急いでママが入院している病院(施設がその病院グループ傘下で、隣接してる)へ向かい、とりあえず大事ないことを確認した。
1時間後、戻ってきて一息つこうとしたとき、妙な胸騒ぎがして、机上に置いた携帯を立ったまま見つめてた。
刹那、携帯が鳴り、出た直後に病院へトンボ返りした。
本当の死神は、遅れて来るんだ。
長女の窒息は、ママの仕業だったんだろうか?
まさかな。
でも、何人産んでも障害がある。私は健常な子供を産めないって悩んでたってあとで聞いたし、でも、目にいれたいくらいかわいい長女だから、連れていきたいって思ったんなら理解できる。
そう言えば、亡くなってからはピタッと無くなったが、亡くなる前の意識がなかった半年間には、僕も何度か、このまま死ぬんでは?と思うような激不調があったし、49日の最終日の夜には、自宅でほんと急にぶっ倒れて死にそうになった。
あれだって、さみしがり屋のママが誘いに来たなら、理解できなくもない。
太陽を人間にしたような明るい素敵な女性だったが、強い光の影もまた深いのよな。
毎年今日は、ママと、直前の長女と、両方を思い出す。
弟には、長女の葬儀には、僕が仕切らにゃならんね。って言われてる。
理由を聞いたら、兄貴はきっと、ママはかろうじてやれたけど、長女の時には役立たずになるよって。
たしかに。
来てほしくないもの?
何者か知らん、僕から長女を奪いにこないでくれよ。