私が所属している シンクタンクで、地域ルネッサンス創造機構【シンクタンク・ザ・リバー バンク】という機関があります。そこで毎月発行している『リバーバンクリポート』の3月号に『私の結髪修行』と題して、拙い文章ですが寄稿させていただきました。

原稿を依頼されて、「ちゃんとしたコト書こう!」って気負ってかなり苦しんで書きました。驚くほど硬い文章です(笑
でもせっかくなのでブログにもアップすることにしました。
なぜ、今、結髪修行?って内容です。



『私の結髪修行』


縁-enishi-



私は今から約10年ほど前にある場所でアンティーク着物に出逢いました。その意匠の美しさ、染めや刺繍の素晴らしさにすっかり心を奪われ、その後アンティーク着物の収集をするようになり、その一年後には『着物屋』をはじめることを決め、2006年に店主一人の小さなお店をはじめました。

バブル期に成人式を迎えた私は当時着物には全く興味が無く、ファッションも音楽も好みは随分とアメリカンナイズされていて「日本文化」ということについてはまるで無知で、興味も全く持っていなかったのです。それが、10年前のアンティーク着物との出逢いで衝撃を受け、その後の私はどんどん変っていったのです。

着物を通して『日本文化』の入り口に立った私は、日本人は季節の移り変わりを感じて、それを繊細に表現する、世界でも類希な豊かな感受性を持った民族であると知りました。
そこから次々と日本文化への興味は尽きることなく、日本の形の美しさや、日本のこころの美しさをいつも探し求めるようになりました。
着物屋をはじめてから、『日本髪』への憧れは持っておりましたが鬢付け油を使う本式の日本髪はさすがに敷居が高く、遠い存在でした。しかし、創業8年目の年にひょんなことがきっかけとなり、勉強出来る機関を探し、今の師匠に出会うこととなりました。

そんなわけで2014年の2月から京都への月一回の結髪修行がはじまりました。
それまで、私は現代の整髪料(スプレーやワックス)を使って作る『新日本髪』を得意な技術としていましたので初めての鬢付け油を使った結髪も、ある程度は出来る自信を持っていましたが、あまりにも勝手が違うことと、その技術の難しさに愕然としました。そして、対照的に先生の結髪技術の美しさに衝撃を受け、この技術を必ず習得したいと思ったのです。
話がまた戻りますが、8年前に私は「かつて江戸時代、に人々が自由に着物をきこなし、流行を作ってきたように、平成の世でももっと自由に着物をたのしみたい。」という想いで着物屋をオープンさせました。決まりきった着こなしや、古い意味の無い習慣がナンセンスに思えて、もっと着物を楽しむために色々なことにチャレンジしようと思ったのです。既成概念にとらわれない、自由な着物の着方を創造しようと。

8年経った今、根本的な考え方は変っていませんが、ここで『型』についてもう一度考えてみようと思ったのです。本物、本質、型を知った上で、破るものを『型破り』と言うのであって、本質を知らずに好きなことを思いつきでやっているだけでは到底『型破り』ではなく、むしろダサいと。私はまだ本物を知らないと感じました。
そんなわけで、将来的に『型破り』なことをするために『型』を学ぶことに決めたのです。
学び始めると、型にはやはりその理由があることに気づいていくのです。少し前からはじめた「茶の湯」の世界でもそれは感じました。日本の『型』には日本のこころが詰まっているように思います。型を学ぶときにそれが何なのか、はじめはわからなくても何度も繰り返していくうちに、その型の意味が少しわかったり…。そんなとき、またひとつ日本文化の素敵さを発見したり…。

私にとって、今は伝統の『型』をしっかり学ぶ時期だと思っています。それを学べる師に巡り逢えたことや、今、こうして学ぶことが出来る環境に感謝して、心から楽しんで勉強していきたいと思います。日本文化にも古典として守って行く部分、新しい時代の波の中で進化・発展させていく部分。その両方が必要だと思っています。そして、日本文化の美しさ、素晴らしさをより楽しいものとして伝えていく役割を果たせて行けたらと思っています。



縁-enishi- 鳥島悦子


やっぱり、硬いというか、肩に力入り過ぎでしょ~。
こう見えて、根っこがマジメなんです(恥