国際協力は先進国から開発途上国への一方的な貢献ではなく、国同士が互いに協力しあうこと、故緒方貞子さんはそう説きました。まさしく、その通りだと思います。

 

緒方貞子さんは、JICA理事長時代、池上彰さんとの対談で、「国際援助が一方的な『貢献』であるとするのはおごり、あくまでも『協力』なのだ」と説いた。

 

そして、私は緒方さんの言葉をさらに拡大解釈して、国際協力は個人同士が学び合う場所でもあるべきと思っています。

 

その意味で、開発援助の仕事でコロンビアに滞在する自分は、一つ大切なことを学んでおります。

 

20年以上も昔ですが、コロンビア人社会学者 アロンソ・サラサールさんが同国第二の近代都市、メデジン市の貧困スラムを取材したNo nacimos pa' semillaという本を出しています(邦題「暴力の子供達」田村さと子訳)。

 

 

この本が扱っているのは80年代~90年代、コロンビア社会にはゲリラ、右翼、誘拐、麻薬、殺人、腐敗などが蔓延り、複雑に絡み合って社会を脅かしていた時代です。

 

女性も子供も反政府組織により半ば強制的に武器を取らされた。

 

麻薬犯罪組織メデジン・カルテルの首領パブロ・エスコバル

パブロ・エスコバル射殺直後(警官たちはまるで動物でも仕留めたかのような笑顔です。しかし、それほど多くの罪なき国民が麻薬マフィアの犠牲になっていたことの証でもあります。

 

そんな社会が子供、特に問題の顕在化する貧困スラムの若者に良い影響を与える訳がありません。多くの若者がゲリラ、麻薬組織、極右団体などの悪の手に染まり、若くして尊い命を奪い、奪われました。

 

それから20年以上が過ぎ、社会的情勢は大きく好転、治安も格段に良くなりました。未だ問題は残っているにせよ、大半の、とくに若い世代は平和を謳歌しています。

 

しかしです。今の平和は、実に多くの犠牲の上に成り立っていることを常に意識して欲しいと思います。

 

そこから翻って自分自身も考えさせられます。果たして自分を含めた日本人は、今の平和がとてつもなく膨大な犠牲の上に成り立つ事実を忘れていないか。戦争はもとより、戦後の様々な社会擾乱やテロの犠牲(含犠牲者個人個人)の記憶は薄れてないか。

 

そのような反省こそが、私の国際協力の現場からの重要な学びの一つになっています。