(2021/07/18 記)

 

直近記事の続きです。

 

画像はVCO1 をパッチベイから出してリングモジュレータに入れ、VCO2 との音程

信号を掛け合わせた上で、フェイズシフトを通し倍音成分を幾分でも複雑化した信号

にTerci Ruima で、少しでも音楽的な歪みが加わるかの試行錯誤中のものです。

(音響付き動画公開はまた模索の出口が見えてからにします。)

 

  

並行して、旧作の公開状態を整理してみました。

SoundCloud、BIGUP!への公開有無を「〇」で、さらにデジタルリマスタ版公開したもの

を「済」で整理しました。備考欄にはBIGUP!の前身、Muzie 時代終了近くの時点での

試聴回数を記録しました。
(アメブロは旧Yahooブログのように画像の原画像サイズ表示が出来ないようなので
個々の情報は読み取りにくいかとは思いますが。)

 

  

軽音楽を作曲制作し始めて40年以上、既に改編版を含めて完成版だけで68作品
にものぼることを知った一方で、このように整理して初めて公開場所に偏りが酷い

ことを認識しました。

単独で創作活動をする上で、マネジメントが棚上げになることの弊害が出ている

のだと改めて感じます。

折角、BIG UP! での公開なら連携音楽公開サイトでの作品試聴やダウンロード
の課金を回収代行してくれるのですから、以降、偏りを無くそうと思います。

SoundCloud は閉じたサイトなので、BIG UP!への登録をしても、連携する音楽配信

サイトへの重複投稿になることは無いのですが、今までつまらないことにこだわって
居たものだと感じます。そういうところも複数の頭で活動方針を考えている立場
なら、そんな袋小路状態にはならなかったでしょう。

もとより作品を公開していたMuzie はその前身、My-Music.com 時代から
会社に表敬訪問などもして、懇意にさせて頂いていたサイトでした。
Muzie では各曲単位に4桁のダウンロード試聴もあったものでした。

そのうちにSoundCloud を知り、並行で公開を始めました。
海外サイトであることから、公開即、国境を越えてリスナーに届くという魅力が
ありました。
(Muzie は日本語サイトなので、国内からのアクセスがほとんどだったでしょう。)

やがてSoundCloud で無料で扱える公開容量の限界に近づき、公開のメインを

再びMuzie に戻しました。Muzie には制限がありませんでしたので。

それまでまずはSoundCloud に公開、厳選した良好な改編版や新作だけを

重複してMuzie にも公開、という運用にしていたのを、全部、Muzie での公開

に戻さざるを得なくなったのでした。

2017年9月にMuzie が現在のBIG UP! に吸収合併されて、さらに事情は
変わって行きました。
サービス拡張とともに、BIG UP! が多くの大手音楽配信サイトと連携するように
なり、BIG UP! に楽曲の公開時に契約委託すれば、それら多くのサイトに
自力で個々に契約・登録をする必要なく、自動で登録展開をして貰えるように
なったのでした。連携サイトには米英のAmazon、Apple サイトも含まれており
SoundCloud の「公開即国境を超える」メリットは相対的に小さいものに
なりました。

そのような経緯もあって生じた現状の公開状態の偏りは、想像以上に大きな
ものになっていたことに、今回ようやく気付いたのでした。、

取り急ぎ、そのままの品質で公開できる作品をBIG UP! に公開申請し始め
ました。ただ、制作当時のWAVデータが何故か残っておらず、公開申請用に
WAVから生成したMP3 のみが残っているものが多く(故障したPCなどに
残っているのか)今回はMP3 から逆にWAV を生成しての登録となりました。

無圧縮WAV からMP3 を生成する時点で、多くの帯域圧縮や破棄処理が走って
いる筈で、その逆処理をしてもそれらが再び補完再現される訳ではありませんが
昔と違って現在のBIG UP! 登録にはMP3 でなくWAV が必要なので致し方
ありません。(以前はMP3 が登録に必須で、WAVはその中間生成物に過ぎない

認識で居たので、HDD 空き容量改善のために整理してしまったのかも

しれません。)

まずは以下の2作品を登録申請しました。
審査終了と公開予定は早くて8月1日とのことです。

・ 静かな宵に想う(チェロとピアノで)(1979,2015)
・ 京の響(2015)

AudaCity でMP3 からWAV を生成する際に、若干の音質補正をした以下
4作品も続いて登録申請しました。
最終版ではヴォーカル支援を貰った作品の元版や、アレンジが大きく異なる
作品の元版です。
作成時はヴォーカル音程補正ソフトもなかった時代でしたので、自身の歌唱が
少しでもましに聞こえるように音質を整えました。8月4日以降の公開です。

・ 夜の去るスピードより速く(1991)
・ 次の世界のアダムとイヴ(1991)
・ ルシファーよ昇れ(1991)
・ 未来への記憶 (1984)

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創作が常々牛歩の一方で、マネジメント力が足らないことを改めて痛感
します。マネジメントとリサーチの上で、次のゴール設定があって、
納期遵守に追い立てられるという側面も少しは必要に感じます。
人生の残時間がいくらあっても足りません。

ずっと忘れていたことでしたが、大学の教養課程で一緒だったのか、どういう
経過で知り合ったのか、今は全く思い出せない同学年の文学部の人間が
在学中に居て、当時のRoland SH-1 とカセットLLレコーダで残した粗末な

メモレベルの2声版を聞いて「これは今の国内で流行している歌謡曲とかと

フィールドが違う。最初から世界を目指したら?」とマネジメントを買って出て

くれようとしたことを最近思い出しました。

(ちなみに「化石の森のヴェールに包まれて」初版を制作した1982年に
国内で大ヒットしたのは「3年目の浮気」、そしてその後、「化石~」改編3版

(最終版。2003年完成)の間奏メロディとおおよそのアレンジを、職務の昼休み

に二重派遣先の職場近く、江坂公園の片隅で古くなった名刺裏に書き綴った

1986年に、国内で大ヒットしたのは「男と女のラブゲーム」でしたから。

あまりに乖離があったのでした。

当時は国内の歌謡曲は興味の範疇外でしたが、最近、昭和風俗を振り返る
TV番組で、そのようなことを知りました。)

初めての理解者が現れた、と帰宅後、母にそれを言うと「おまえの才能に
たかる人間だから、絶対甘い言葉に乗るな」と厳命され、当時はまだ親の
意見を尊重するところもあった私だったため、その折角のアプローチから
徐々に距離を置くようになり、やがて疎縁にしてしまいました。

多くの成功者が、偶然とは思えない巡りあわせで、人生を大きく左右する
師匠や、チームやコンビとしての縁を得て、自身の欠点を補い自力では

到達しなかった高みに登り詰めたエピソードを、TVインタビューなどで見る時、

あの親の忠告を無視していたら、きっと人生が変わったかな、とも思えます。

私の才能など全く理解はおろか、鼻にもかけなかった今は亡き母親の、あの

忠告を何故素直に受け入れてしまったのかな、と。

その彼に母親は一度も会ったことすら無かったのでしたが。

ただまあその代わり、現在の生活は無かったでしょう。
今の生活だって、途中で過労によるメンタルダウンや派遣職場での執拗な
パワハラや全人格否定攻撃、最後には社内で明るみにしなげれば回避出来

なかった不当評価積上げでの退職強要などに耐えてのあげく、ようやく掴んだ

「人並み程度には安定した晩年」ではあったのでしたが。



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