逐次、細かいサイクルで育苗しながら休耕地整備を進めていきたいのですが、このところの雨で畑に耕耘機が入らず、作業が全然進まないort
(排水対策をしたいのですが、耕運機が入れなかったらそれすらもできず、無理にやろうとすると、この前みたくスタックして脱出不能に陥るので自重。。。)
体を動かせないなら、せめて頭でも動かすかとも思うのですが、農業ほど脳内シミュレーションと現実が食い違う分野もないので、机上の計算で皮算用するのも何だか無意味でつまらないと感じる今日この頃です。とりあえず夏に向けてやるべき仕事はざっくりと決めてはいるのですが。
去年あたりから『経営』をかなり意識していて、全国的に知名度のある農業生産法人についてあれこれ勉強しているのですが、やはり強いところは最初から10億20億売り上げるつもりでやっているというところが、普通の農家との大きな違いかなと感じました。
それは逆に言うと、「10億売り上げるためには、何をどれだけ作って、どこにどういう単価で売って、それをするためにはどれだけのコストがかかるのか?」をしっかりと考えているということです。
経営規模の拡大は、イコール赤字幅の拡大でもあるので(コケたときのダメージがでかくなる)、それに見合うメリットがないとやってられないわけですが、1)安定雇用による若年労働力の確保、2)一貫した計画によるコストの削減と作業の効率化、3)農作物の大量安定供給による優良販路の確保、といった『強み』ができる。
そういう認識を踏まえて、『これから目指すべき農業の担い手像』を考えると、一体どういうものが理想と言えるのか?
(あくまで個人的感情として)『金儲けだけが目的の農業』というのは何だか夢がない。
儲けたいなら別に農業を選ぶ必要などないし、この人口減少社会では国民の胃袋の数は決まっているので、一社の利益拡大は、他社の損害になるというゼロサムゲームでしかない。つまり、新たな市場の開拓には結びつかず、単なる農業生単位同士の潰し合いにしかならない。
団塊世代の論客などが、「今の若い人にはギラギラした野心、ガツガツした出世欲、より豊かな生活への渇望がない」とか良く口にするのですが、今の若年層の本音は、「がんばって金持ちになりたい」ではなく、「がんばらないけどそこそこの暮らしがしたい」というところにある(リスクをかいくぐり必死にがんばって年収1千万か、無難にやって年収5百万かと問われれば、どっちを選ぶかは明々白々)。
高度経済成長期のときの『豊かな生活への憧れ、夢、期待』。そういうエネルギーに勝るような情熱を呼び起こす『何か』がないと、その世代のやってきたことの『劣化コピー』にしかならない。そんなことに人生を費やすのも何だかバカバカしい気もします。
社会というのは、『イノベーション』と『生産性の向上』が対となって発展するものです。
つまり、今までにない新しいモノを誰かが発明し、それを広く社会に普及させることが必要。
今の世の中、先進国の生産能力は極限にまで高まっていますが、イノベーションがその速度に追いついていない(だから、すぐにマネをして低価格競争が起きて収益悪化という負のスパイラルが起きる)。
農業でイノベーションとなると、イコール「生産性向上&安定のための新技術」となるわけですが、追究すべきは多分そこじゃない。生産力は食べきれないほどの野菜が市場に溢れるほど十分に足りていますからね。
となると、農業が引き起こすべきイノベーションとは、「社会の仕組みを変えるところ」にあるのかも知れない。
その地域の農地に広く根を張った農業生産法人が、その地域の経済や自治、教育や福祉、観光や防災、まちづくりを主導するほどの総合的な力を持てないものだろうか?
都会では不可能なことが、過疎地ではむしろ可能になる。そんな逆転の発想はできないだろうか?
で、もし、そういう『地域の核たる強力な組織』を生み出そうと思えば、どうしても年間予算が10億20億ある経営体となる必要が出てくる……ということになる。
ここで、さっき言った『金儲けは手段であって目的ではない』という話と結びつく。
地域の活力を呼び覚まし、社会(とそこに住まう人間)の新たな可能性を極限まで追究するために、やはりお金は必要ということです。
ただのビジネスには興味はないのですが、そう考えると、金儲けにもやる気が出てくる今日この頃です(笑) 自分のやっていることにちゃんとした意味や意義を感じられるし。
(排水対策をしたいのですが、耕運機が入れなかったらそれすらもできず、無理にやろうとすると、この前みたくスタックして脱出不能に陥るので自重。。。)
体を動かせないなら、せめて頭でも動かすかとも思うのですが、農業ほど脳内シミュレーションと現実が食い違う分野もないので、机上の計算で皮算用するのも何だか無意味でつまらないと感じる今日この頃です。とりあえず夏に向けてやるべき仕事はざっくりと決めてはいるのですが。
去年あたりから『経営』をかなり意識していて、全国的に知名度のある農業生産法人についてあれこれ勉強しているのですが、やはり強いところは最初から10億20億売り上げるつもりでやっているというところが、普通の農家との大きな違いかなと感じました。
それは逆に言うと、「10億売り上げるためには、何をどれだけ作って、どこにどういう単価で売って、それをするためにはどれだけのコストがかかるのか?」をしっかりと考えているということです。
経営規模の拡大は、イコール赤字幅の拡大でもあるので(コケたときのダメージがでかくなる)、それに見合うメリットがないとやってられないわけですが、1)安定雇用による若年労働力の確保、2)一貫した計画によるコストの削減と作業の効率化、3)農作物の大量安定供給による優良販路の確保、といった『強み』ができる。
そういう認識を踏まえて、『これから目指すべき農業の担い手像』を考えると、一体どういうものが理想と言えるのか?
(あくまで個人的感情として)『金儲けだけが目的の農業』というのは何だか夢がない。
儲けたいなら別に農業を選ぶ必要などないし、この人口減少社会では国民の胃袋の数は決まっているので、一社の利益拡大は、他社の損害になるというゼロサムゲームでしかない。つまり、新たな市場の開拓には結びつかず、単なる農業生単位同士の潰し合いにしかならない。
団塊世代の論客などが、「今の若い人にはギラギラした野心、ガツガツした出世欲、より豊かな生活への渇望がない」とか良く口にするのですが、今の若年層の本音は、「がんばって金持ちになりたい」ではなく、「がんばらないけどそこそこの暮らしがしたい」というところにある(リスクをかいくぐり必死にがんばって年収1千万か、無難にやって年収5百万かと問われれば、どっちを選ぶかは明々白々)。
高度経済成長期のときの『豊かな生活への憧れ、夢、期待』。そういうエネルギーに勝るような情熱を呼び起こす『何か』がないと、その世代のやってきたことの『劣化コピー』にしかならない。そんなことに人生を費やすのも何だかバカバカしい気もします。
社会というのは、『イノベーション』と『生産性の向上』が対となって発展するものです。
つまり、今までにない新しいモノを誰かが発明し、それを広く社会に普及させることが必要。
今の世の中、先進国の生産能力は極限にまで高まっていますが、イノベーションがその速度に追いついていない(だから、すぐにマネをして低価格競争が起きて収益悪化という負のスパイラルが起きる)。
農業でイノベーションとなると、イコール「生産性向上&安定のための新技術」となるわけですが、追究すべきは多分そこじゃない。生産力は食べきれないほどの野菜が市場に溢れるほど十分に足りていますからね。
となると、農業が引き起こすべきイノベーションとは、「社会の仕組みを変えるところ」にあるのかも知れない。
その地域の農地に広く根を張った農業生産法人が、その地域の経済や自治、教育や福祉、観光や防災、まちづくりを主導するほどの総合的な力を持てないものだろうか?
都会では不可能なことが、過疎地ではむしろ可能になる。そんな逆転の発想はできないだろうか?
で、もし、そういう『地域の核たる強力な組織』を生み出そうと思えば、どうしても年間予算が10億20億ある経営体となる必要が出てくる……ということになる。
ここで、さっき言った『金儲けは手段であって目的ではない』という話と結びつく。
地域の活力を呼び覚まし、社会(とそこに住まう人間)の新たな可能性を極限まで追究するために、やはりお金は必要ということです。
ただのビジネスには興味はないのですが、そう考えると、金儲けにもやる気が出てくる今日この頃です(笑) 自分のやっていることにちゃんとした意味や意義を感じられるし。