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▼小学校の放課後学習のボランティアは、2時半~4時過ぎくらいまでで、その間、低学年から高学年までひっきりなしに子どもたちがやってきます。
本当は、一人一人の子とニ、三分くらいお喋りをしたいのですが、それは時間的に不可能。加えて「構って構って」な子も何人かいるので、どうしてもそっちの対応に追われてしまう。
それが終わった後はたいてい駐車場で子どもたちが私が帰るのを待っていて、そのまま無料タクシー送迎という流れになり、ヒマな子は事務所に居座りに来る。
▼思春期突入後、子どもたちは結構過酷な学校での人間関係のあれやこれやに巻き込まれるわけですが(中高時代)、そこをうまく乗り切れるどうかは、それ以前の人間形成に大きく左右される気がする。
『他者に対する共感力を持てるかどうか』
つまり、空気を読んだポジショニングと言動ができるかどうか。
これをもっと難しく言うと、相手の感情を自分の感情だと思い込むことができるか、ということになる。
→「親が期待する自分が、自分のなりたい自分であると思い込む」
→「『あの子ウザイよね~』とみんなが言い出したとき、自分もその子が『ウザイ』と思うようになる」
自分と他人は、「別々の生き物」ではあるのですが、社交的で明るいタイプの子は、周囲の人間との感情の親和性が非常に高い。
良くも悪くも、です。
▼どうしてそこで『差』がついてしまうのかという点は、いろいろ理由があるのですが、それは何だかもう感覚としてわかってしまった気がする(笑)
というか、これだけいろんな子の成長履歴を注視していたらわからない方がおかしい。
つまり、『幼児期~思春期に対人関係における過剰ストレス(あるいは愛情飢餓状態)を与えたらアウトだ』ということです。
これをやってしまうと、著しく社会性を損なう二つの精神要素が色濃く出てしまう。
「過剰な自意識」と「希薄な他者意識」。
わかりやすく言うと、「自分自身はすごく傷つきやすくて、それでいて、他人の痛みには無感覚な子になる」。
具体的に言うと、例えば(いろんな派生型がありますが)自分を守ろうと必要以上に強がって自分を大きく見せようとし、弱いものイジメを平気でするような子になる。
▼……って、楽にシンプルに生きるとか言いながら、結局小難しい長文綴ってんじゃん、と自分にツッコミ(笑)
以上のようなメンドクサイ理屈を子どもに関わる大人全員が真剣に議論すれば、救われない子どもたちも多少は救われるのかも知れませんが、やっぱり現実社会に救いはないなと感じる。
かれこれ十数年子どものボランティア活動をやっていますが、誰かとこんな話をしたことなんて思い出せないくらいないですしね。
ま、マトモに話し相手すら見つけられない自分が何を言っても無駄ってことですね(笑)
▼キャベツの収穫を継続中。。。
この先、初夏のどこまで収穫可能かを検証中なのですが、11月~翌6月末くらいまできっちり収穫&出荷できるようになりたいものですね。
冬場のキャベツの値段は酷いですが、どこかの時期が凹むとどこか時期が凸るので、周年栽培に近づければ単価を平均化させられるっぽい。
ただ、病害虫や鳥害、気温変動による傷みのリスクがあれやこれやあるので、まだまだ研究が必要ですね。
早くどんな野菜でもきっちりばっちり作りこなせるようになりたいものです。
▼気がつけば、今年もぼちぼち折り返し地点です。
私はちゃんと言葉にして自分に言い聞かせないとその通りにできない人間なので、ここで今年後半の目標を設定。
→自分が最初に決めた目標は変えない。
→ただし、一番『楽』に目標達成ができる方法をしっかりと考える。
→難しく考えない。真剣になり過ぎない。すべての事柄をシンプルでかつ気楽にやる。
→どんな状況でも笑っていられるような、相手を笑わせられるような心の余裕を持つ。いつも遊び心を忘れない。
以上ですね。
高校生の子たちの中間テストが終わったら、ゲーム大会(第二弾)を実施予定ですが、ま、この先はテキトーに遊びながら営農規模の拡大を目指します。日本中の誰よりものんびりと(笑)
そう、「遊ばないと」ですね。
そういうことなので社会人のみなさんはお仕事がんばってください。この先、私は自分のやっていることを「仕事」だと思わないようにしますので(笑)
▼交差点で信号待ちをしていると、後ろから小4の子が全力ダッシュで追いかけてくる。
何事かと思ってウィンドウを開けると、「今度みんなで遊びにいくから!」とか何とかエラい勢いで絡んでくる(何があった!?)。
「悪いが、君ごときでは俺は見つけられんよ」と返すと、勝ち誇ったかのように「しまぞーの家も、事務所も、畑も全部知ってるし」とか言われる。
将来、良いストーカーになりそうですね、この子(笑)
ま、私を追っかけてくるのは大抵小5くらいまでなのですが。
▼「そう言えば、自分、ソラマメも作ってたんだっけ」と今朝気づき、収穫&出荷。
毎日忙し過ぎて、自分でも何やってるのかわからなくなってきている(笑)
締日の20日まで独りでがんばって、その後は生命優先モードで気楽にやろうと考えていますが、頭の中はちゃんと整理しておかないとですね。
露地で11月~翌6月の野菜作りというのは、まだまだ経験浅く初心者レベルなのですが、毎日必死で働けば並みのサラリーマン程度には稼げそうな感じです。
と言っても、栽培でおバカな失敗したり、天候にイジメられたり、値崩れしたり、効率悪いことをしたらあっという間に時給1000円を割り込んでしまうので、ま、割りの良い仕事だとは口が裂けても言えないですが(そもそも休めない時点でブラックだし 笑)。
▼とにもかくにも農業で避けるべき失敗は以下の二つ。
一つは、何百万、何千万と投資したにも関わらず、思ったほどの収益が上がらず(上がり続けず)、結局投資分を回収できずにその作物の栽培から撤退。
もう一つは、確実に売れてはいくものの、時給にすれば1000円ちょいくらいの仕事になってしまい、それを一日12時間×30日労働で月35万ちょい稼ぐような「ジリ貧農業」になること。
ただ、どちらも「当たり」がないわけではないので(投資以上の収益上がったり、地味にがんばった結果思わぬところで新たな展開に恵まれたり)、なかなかに見極めが難しい。。。
ゆえに、後はやる人の「好み」の問題。
博打好きか、努力好きか。
周りは気にせず自分に合ったスタイルで攻めるのが結局のところはうまくいく近道なんでしょうね。
▼私の場合、去年から7品目くらい野菜を作り続けているのですが、これを常時二人体制で1ha上手に回せたら今はそれがベストかなと感じる現在の営農レベルです。
指導者なしの我流農法なので、失敗も多いのですが、ある程度経験を積んで最大効率を上げられる栽培シミュレーションができるようになれば、今の1.5倍くらいは収益性を向上させられそうな気がする(今は失敗した野菜を畑に大量廃棄してますからね)。
ただ、何をどうしたところで完全にエネルギー不足です。
先日、「たかが人間一人が吐くほど働いたところで大した仕事にならない」というのを身をもって経験しましたしね。
で、一昨日の水利組合のあれな状態を見て、私はついに悟ってしまったわけです。
地域再生とか絶対に無理だわ、これ(笑)
自分自身の気力体力に自信のある人は、周りのモチベーションとか完全無視でいくらでも突っ走れるのですが、ふっと自分のエネルギーが尽きて周りを見た瞬間に、途方もない絶望感に襲われる。
これ以上何かができる気がまるでしない、という(笑)
▼結論から言うと、自分のエネルギーを使い果たし、それでもまだやりたいことがあるのなら、他所からエネルギーを引っ張り込むしかない。
そのエネルギーというのは、人であり、その情熱であり、その欲であり、アイデアであり、資金であり、技術であり、情報です。
ま、無論のこと、そういうのには完全無欠にアテがないですが(笑)
ただ、今回いろいろあって痛切に思い知ったのは、「真面目に考えたら負けだな」ということ。
普通の人間は理念や、理想や、理屈などという堅苦しいモノのために必死にがんばったりはしない。
もっと自分に関係のある、身近で、当たり前で、わかりやすく、直情的なモノのためにがんばるわけです。
生活とか、家族とか、お金とか、安心・安定とか、見栄や虚栄、自尊心とか、娯楽とか、義務とか、つきあいとか。
私は組織の中で仕事をするのが無理な生き物なのですが、その理由は単純明快。
そういう感覚で普通に生きている人とモチベーションを共有できないと思っているからです。
普段はめんどくさそうにダラダラと仕事してるのに、「損か得か」「楽かしんどいか」の部分にだけはやたら敏感で、自分の信念も考え方もなくただモノゴトを上手にこなそうとすることしか考えていない人間と一緒に仕事しても楽しいと思えない。
……とか何とか以前の私ならそういう堅苦しくエラソーな言い方で無意味に周りに敵を作りまくっていたわけですが、そこもいい加減成長しないといけないですね、はい。
じゃないと、死にかけた自分が報われない(笑)
▼自分にとっては、夢も情熱も理想も目的もとても大事なものです。
けど、そこに拘り、囚われ続けている間は、他人とモチベーションを共有して何か事を為すというのは一生無理でしょう。
だから、「もう笑うしかないな」と思う。
子どもの相手をしているときは、「笑ったり笑わせたり」が当たり前で、そんな関係でいると、冒頭の話のように100メートルくらいなら余裕で駆け寄ってきたりする。
近所のじーさんとかに「うちの孫が島田さんのこと良く話すんですよ、大好きなんですね~」とか言われたりするのですが、子どもはつまるところ「いつも安心して気持ち良く楽しく笑っていたい」生き物だってことです。
これは大人も多分、変わらない。
正直、大人はズルいので私は嫌いなのですが(笑)、子どもたちと同じように笑わせられるようにならねばならないのかもですね。
こんな風に小難しい長文を書くのもそろそろ終わりにしなければならないのでしょうが、次回からは「3行で笑える一発ネタ」とか用意しないとですね。
いくつになっても進歩や成長を問われる自分の人生に乾杯♪
▼本日は地元水利組合の溝掃除に参加。
昨年はじめて参加したときは「だんだん年寄りばっかりになってきたな~」とか何とか笑い合っていたのですが、今年は「もはや年寄りすらいなくなってきたな」という、まさに笑えない状態だった(泣)
真面目な人間ほど何かしらのショッキングなできごとがあると、極端から極端に走ってしまうらしいのですが、私はいつもそれだなと感じてしまいます。
今日の有り様を見て、「地域振興のために行動を起こし、周りの人を盛り上げようと情熱を燃やすよりも、地域の衰退っぷりをネタに笑いを取りにいった方が世間の関心を引けるような気がしてきた」という。
本当にもうどうしたら良いのかわからなくなってきて、頭痛が止まらない。。。(笑)
和○山県とか、三○県とか、そういう発展途上国の話じゃないです。仮にもここは天下の大阪なんですよ、『大阪!!』
にも関わらず、小学校の今年の新入生が10人とか、夜中にイノシシが田んぼで大運動会とか、歩いて行ける距離にコンビニが一件もないとか、夜10時過ぎたらタクシーも来ないとか、新規開店の飲食店の平均寿命が3ケ月とか、ありえない珍現象が多発している。
良くこんな過酷な環境で人が住めるもんだと、住民を代表して世に訴えたいものですね。わりと真面目に。
……とか何とか自虐ネタをあれこれ口にしているとなぜか気持ちが楽になるのも人情というやつかもですね。
▼小学生くらいの男子でときどき感情コントロール不能状態になる、つまり「キレやすい子」を見かけることがあります。
そういうタイプの子は、自分の思い通りにならないことに対する苛立ち、フラストレーションが強く、心の中に満たされない感情を多く抱えている。
そういう子に対する「正しい大人の対応」は、感情を言葉にさせてすっきりはっきり吐き出させ、それをちゃんと受け止めてあげること、です。
具体的に言うと、ケンカをはじめたら取っ組み合いになるまではとりあえず傍観し、手を出しそうになったら強制介入。とりあえず座らせ、落ち着かせ、「何が あったのか」「何が気に入らないのか」「どうしたいのか」などなどを本人にちゃんと言葉にさせる。その子の気が済むまで、です(大人にはそこまでその子に つきあってやるだけの根気が求められる)。
キレているガキンチョを大人しくさせるのは中々骨が折れますが、そこで「大人の男の恐さ」を駆使するのは反則ではない気がする。
そういう激しい感情を自分で自分でコントロールするために、「(父親みたいな)怖い存在」というのは必須な気がします。
問題行動の多い男子にありがちな、「何かイラつく」的な「心の闇」は、そういう関わりの中で軽減していくしかないと感じます。
そういうプロセスを経て、その子にとってのその大人が「信頼にたる存在」とかになれれば理想なのですが、ま、私は経験がないですね(笑)
▼ま、男子は良いです。基本バカだし、わかりやすいし(笑)
問題は女子。
この前、事務所に押し掛けてきた小6の女の子たちに「女子から見たクラスの性格良い女子ランキング」みたいなのを聞いたのですが、堂々の一位の子、私の想像通りだったという。
ま、単純に裏表がなくて毒吐かない子ですね。
つまり、裏でも表でも「ウザイ」「キモい」「ダルい」「メンドイ」というワードを口にしそうにない子。
男子にとっての性格を歪ませる感情要素が「イラつく」であるように、女子にとってのそれは「ウザイ」「キモい」だったりする。
いわゆる「生理的嫌悪感・拒否感」というヤツですが、この感情要素が色濃く出る子は、情緒面に大きな不安定さを抱えている(気がする)。
折しも、高校生のとある子が「入学してラインで絡んでくるクラスの男子がキモくてブロックしようかどうか迷っている」とか何とか相談してくる。
文脈見た感じ単に彼女の気を引きたいだけの話のフリ方なのですが、「つまり、そういうことなんだよ」と何度説明しても、彼女は「気持ち悪い」を連発する。
男からすれば「それってそんなに重大なことなの?」と思ってしまうのですが、女子にとってはその拒否感(自分の心にある違和感・異物感のような言い様のない気持ち悪さ)が「その子の行動原理のすべて」と思えるほどに大きい。
男子特有のイラつき(=フラストレーション)は関わり方次第で対処可能な実感があるのですが、女子の嫌悪感情(=内面的異物感)への対処法がどうにもわからない。
ま、単純にその子が自分で「気持ち悪いものは拒絶し切り捨て、気持ち悪くないものとだけツルめば良い」という生活戦略を実践すれば良いだけなのですが、その感覚が常に「ストレス発生装置」になってしまうので、解消できるのあれば解消しておいた方が良いとも感じます。
▼そんなこんなで日々子どもたちと関わっていると、やはり、(言い方は悪いかもですが)おもしろくてたまらない。
何がおもしろいかというと、子どもたちはいろんな内面的問題を抱えているのですが、それを解消していけばいくほど成長できるというところであり、そこに自分も食いこめるという点が、ですね。
大人同士だとこうはいかないです。
『双方向の愛情、信頼、成長』
こういう部分で繋がっている人同士は本当に幸せでしょうね。
『惰性、依存、利害』
たいていの大人の人間関係はそれなしには成立しないです。
そういうのが嫌いなら独りで無人島生活でもしてろって話ですが(笑)、発展性のある有機的な人間関係ってやはり憧れてしまいますね。
「いやぁ、俺は何年ツルんでいても、あの人がおもしろすぎて、大好きで、どうしても離れたくないんだよ」
そう誰にでも普通に言ってしまえるような関係というか。
小学生の頃はベタベタしてきた子たちも、大人になるにつれて疎遠になってしまうし、「何なんだ、この人は一体???」と私が思わず人間分析したくなるような変人さんとの出会いもなかなかないですが、……うーん、それが寂しいと言えば寂しいですね。
私の人生の唯一の楽しみが消えていくこの恐怖感(笑)
▼やはり自分の場合、気力&体力マックス状態のまま無休で働き続けられるのは90日くらいが限界っぽい。。。
それを越えると、蓄積疲労で一時的にガクンと馬力が落ちますね。
ま、しばらく休めば元に戻るのですが、やはり無理は良くないし、続かないと、いつものごとく痛切に実感。
いつも納品している店舗の売上のシメが毎月20日なので、とりあえずラストスパートでそこまで泳ぎ切った後(独りでどこまでやれるものなのかが、そこでくっきり数字で出るわけです)、順次、仕事のやり方を変えていこうと思います。
何でもかんでも全部独りでやろうとせずに、人に任せられる仕事はちゃんと任せていこう、という。
お手伝いを雇ったとして、必ずしも収益性や効率性が向上し、私の負担が減るとは限らないのですが(むしろ悪くなる気さえする)、重要なのは「楽に仕事ができるかどうか」ですね。
「楽に仕事をする」=「一年を通じて高いモチベーションを維持しつつ、精神と肉体を労り、やりがいをもって前向きに仕事に取り組む」です。
「目標の達成は、その延長線上になければならない」という『自分ルール』を追加することにします。
▼今回いろいろあって考えさせられたのは、「本当の人間の幸せは、こだわりを持つことと捨てることにあるな」ということ。
「こうしたい」「こうありたい」「こうなりたい」
そういう願望や希望を持てることは間違いなく希望であり、幸せです。
「こうでなければならない」「こうしなければならない」「こうであるべき」
そういう柵に囚われて苦しみ悶えるのなら、それは不幸なことでしょう。
いわゆる『生き辛さ』というのは、希望を持てず、自分の望まない義務だけを一方的に押し付けられることに起因します。
そんな生き方が楽しいわけがないのですが、やはり人はそこに縛られてしまう。
我欲、自尊心、見栄や世間体、孤独への恐怖を捨てられないからです。
「あるがままの自分」で自由気ままに生きられればそれが一番楽なのでしょうが、マトモな人間は決してそうはなれない。
「ちょっとでも他人よりいい暮らしがしたい」「世間から後ろ指をさされるようなことはあってはならない」「人並みという部分からズレたくない」
そういう人間臭さのために、自分らしいこだわりを持てず、また執着も捨てられない。
それが人間ってものですね。
▼私の口にする言葉は、いつも決まって理想であり正論です。それは、自分がそうありたいと思って思考を紡いでいるからであり、もっとストレートに言うと、「自分は間違ったことを言いたくない」という心のあらわれでもある。
ただし、この現実社会には正しいも間違っているもクソもないので、それがメンドクサク、また、ストレスです。
「貧しい人がいるなら、豊かな人が助けてあげればいい」
これは理想であり正論。だが、現実はそうではない、という話です。
この世の中のあらゆる場面でこういう「理に合わない不条理」が起こっている。
以前は、そういう世間の不条理を正すことが正義だと思っていたのですが、そうではないですね。
この世界の誰一人として公正な社会など望んでいないのだから。
一人の人間が求めるは、常に「自分自身の幸福感」です。
その幸福感が何によって得られるのかは人それぞれですが、「満たされたい気持ち」はあらゆる人間に共通する本能です。
▼そんなこんなで、これからは「楽に生きたい」と考えている人とつるんでいければとか考えています。
「今の生活が何だか生き辛いから、もっと楽に生きたい」という。
人間にとって大事なのは、「無理をしてがんばること」ではなく、「楽にがんばること」です。
もっと言うと、がんばることに喜びを見出せるようにする、というのが大事。
で、それができるかどうかは「当人が楽に生きられる精神的&社会的環境にあるかどうか」で決まってきます。
心理的葛藤を解消し、その人が生きやすい環境さえ準備すれば、自然と当人の活動力は高まっていくものだと、そこは信じたいところですね。
自分の決めゼリフが「もっと、もっと自分の限界を超えた高みへ」ではなく、「もっと、もっと自分たちが楽に生きられる道を一緒に探そうぜ」になりそうですね(笑)
この社会の中で、世俗の執着を捨てられずに苦しみ悶えて生きるのも人間らしい生き方であり、そこから一歩身を引いて心安らかに楽に生きるのもまた人間らしい生き方でしょう。
あとはどっちが好きか、という本人の好みの問題でしょうね。
▼現在、キャベツ・コマツナ・サニーレタスの出荷を継続中。。。
単純計算で一日300袋詰めして毎日売り切って行けば、年間売上で1000万いくわけで、昨年トラクター買って、倉庫建てて、真面目に夏期以外の露地野菜作りはじめたわけだから、とりあえず早急にそのレベルに到達してカッコだけはつけたいとか思ってたわけですが、、
、
これを独りでやり切ろうとすると、命を削ることになりますね(笑)
世の中には、完全新規参入で数年で数十ヘクタールレベルにまで営農面積拡大するような猛者もいるわけですが、労働力の確保やその使い方、販路の拡大など、いろんな面での能力がやはり優れているのだと感じます。
ま、要するに『経営能力の差』ってヤツですね。
眠っている良質な労働力も、販路もあるのですが、私はそれを全然生かし切れていないという。
▼ただ、いくら売り上げを伸ばせるかと言って、何かをすり減らすような経営は長続きしない気がする。
それをすると完全な「ブラック農業」になってしまいますからね。
農業は決して楽して儲けられる業界ではないのですが(もし、そうだったらとっくに企業参入の成功事例が山ほど出ている)、そうであるがゆえに特殊な経営感覚が必要なのかも知れませんね。
ただ、自分に合わない人マネをやっても上手くいかないものなので、うまくいっている人の情報を仕入れ、良いところを取り入れつつも、最終的には「自分のやり方」でがんばるしかないですね。
そう考えると、三ちゃん商売の家族経営というのは、(皮肉ではなく)良い意味で現代において革新的なのかも知れない。そこに留まるのも夢がないですが、そこに基盤がないと発展もない気がする。
▼兎にも角にも、これからは『楽』をしないといけないし、自分と関わる人にも『楽』をさせてあげたいと思います。
今日も昼食の時間を削って小学校のボランティア活動に行ってきましたが、子どもたちとの関係が段々極まってきた感じがします。
子どもたちの心の中で何が起こってるのかが大体感覚的に掴めるし、自分がどういう関わりをすべきなのかも考えなくてもわかるようになってきたというか。
その子のメンタル面の安定度も自分との関わり方で判断できて、、、
1)先生や他の大人と同じような態度で私に接してくる子は、家庭の躾がしっかりできていてメンタルの安定している、いわゆる普通な子。
2)他の子がいないときに遠慮がちにベタベタしてきたり、ちょっとドキッとするような質問をしてきたり、「自分はこんなことができるんだよ」アピールして きたりする子は、好奇心が強いけど、自制心もちゃんとある、いくらか心に秘めたものがありつつも、メンタルの安定している子。キラリと光るものがある将来 的なノビシロを感じさせる子。
3)私にいろいろちょっかいを出したり悪戯をしたりして、「構って構ってオーラ」を出してくる子は親密な人間関係成分が不足気味な子。いくらか積極期にこちらから声をかけて応対してあげたい子。
4)私に生意気に突っかかってくる子、わがままを炸裂させてくる子、ストレスを全力でぶつけてくる子、同い年の子たちから完全に浮いていてフラフラと私の 方にやってくる子は要注意なタイプ。自分の感情に自分で歯止めをかけられなくなっていることが多い。こちらが感情制御をしてあげないといけないタイプ。き ちんと理解して、きちんと叱って、きちんと受け答えして、きちんと道理を理解させてあげないといけない。最もそういう関わりを必要としているタイプ。
今日はまさに4のタイプの子が学校帰りに事務所にフラフラやってきて、いつものごとくあーだこーだと言ってきたのですが、「自分が何かをしてもらいたいと 思うのなら、自分もその相手に何かをしてあげたいと思わないとダメだ。そうしないと良い人間関係などできんぜ」とちゃんと言って聞かせられるようになった のは私自身の大きな進歩な気がする。
ま、相手は6年生でもあるし、頭が悪いわけでもないので、言えばわかる子なんですが。
その言葉を聞いてどこか照れたような顔で「じゃあ、今度毒入りクッキーあげるわ」とか何とか言ってたのが何か印象的な一日でした。
人間関係でお互いにストレスを感じさせない、お互いにプラスになる関係をどう構築するか。
つまり、互いに楽しくて、楽な関係をどう作るか。
ここをしっかりと押さえないと、子ども自身がこの先の人生すごく苦労する気がする。
自分の子どもってわけでもないので、関わりにくいところ、言いにくいこともあれこれあるのですが、それができる地域の大人でありたいものですね。