少し早いのですが、試行栽培していたサツマイモを試し掘りしてみました。


縁志のブログ

予想通りサイズが微妙。。。

味は悪くなかったので救われましたが(これでマズかったらどうしようもない)、
やはり適地適作というか、「農業とは風土とのコミュニケーションだ」というのも頷ける。

ネットであれこれ調べて、
燻炭の楽な作り方がわかったので、早速挑戦してみようと思います。

土質の向上でどこまで作物の品質を上げられるかという実験ですね。

今年から直売中心の農業へと舵をきったので、
多品種少量周年栽培の合理化をどこまで追求できるかをテーマにしています。

年間を通じて一日ごとの労働量を限りなく均質にして、季節感を楽しみつつリズム良く農業をする、という。



『相性はどうしようもない』

いつも良く感じることです。

↑のサツマイモもそうですが、土質が合えばすんなりできるものが、
合わなければ、あれこれ手を入れていかねばならない。

できなくはないけども、余分な労力がかかってしまう。
それが好きであればその無駄も楽しいのでしょうが、効率性を重視する人間にとってはあまり好ましいことではない。

仕事や人間関係に関しても言えることですが、
「これくらいなら自分でもできそう」とか「この人とならうまくやっていけそう」という、
ファーストインプレッションは重要です。

できないこと、合わない人を攻略するのは、人生においてとても大切なことですが、
そういうことをある程度経験した後で、それなりの成果を出すためには、
やはり、自分の得意なことを気の合う仕事仲間とやる方が良い。

無理をしている間は、どこかに無駄や非効率、齟齬が生まれるので、なかなか高くは飛べないものです。



さて、先日話題にしていた、「あらゆる人間が共通して目指しているものとは何か?」という件。

人間には、三つの根源的な「欲」があると言われています。

いわゆる、「三大欲」というもので、「食欲」「睡眠欲」「性欲」という、
「動物」としての生理的欲求に根差した本能的欲求です。

が、人間というのは不思議な生き物で、
「食べることを忘れて仕事に熱中したり」
「寝る間も惜しんで勉強に励んだり」
「恋をすることもなく趣味に没頭したり」 などなど
必ずしもそれら欲求を第一優先にはしていない。

むしろ、「金銭欲」「名誉欲」「権力欲」の方が強いと考える人もいるでしょう。

そうかと思えば、まるで無欲な人間、
「安定」「安寧」「安全」に強い欲求を覚える人もいる。

こういう現象を、
「まあ、人間には個性があるし、人それぞれだろ?」で片づけるのは簡単ですが、
それだと何も見えてこないので、もう一歩この問題を論理的に追及してみます。

先日、人間の意識を「システム」として捉えた場合、
その根源的作動原理とは「自己同一性」だと書きました。

人間と動物との差は、「高度な自我」を有する点にあると言えるのですが、
「高度な自我」とは、つまり時間・空間・社会的関係などに左右されない人格性とも言えます。

これがあるから、人間は「高度に社会的」であり得る。

取引先の人間がいきなり人格変貌したり、
一年したら親友が別人のようになっていたり、
母親がいきなり母親のようでなくなったり、 etc.
こんな「非同一性」が頻繁に起こったら、社会関係など結べるはずもない。

「この人(自分)はこういう人だ」という自他ともに認める「確固たる保証」があるから、
そこに信頼が生まれ、高度な社会的相互行為は可能となるのです。

では、その「自己同一性」とはどういう場面で最も強く保証されるのか?

これも先日書きましたが、
システムはその共通の根本原理として「差異化」と「統合」を有している。

誰かと全く同じであれば、「個」としての存在は認識されない。
ゆえに「差異化」が必要。

誰にも全く理解されない存在であれば、これも「個」としての存在は認識されない。
ゆえに何らかの形で社会に「統合」されていなければならない。

誰とも違うこの世界で唯一無二の存在であり、
かつ、それが社会に肯定的にかつ安定的に受け入れられている存在。


これが社会的存在としての人間が共通して求めるものです。

ただ、これを満たす「方法」は人それぞれです。

最愛の恋人に「この世界であなたが一番好きで、私にはあなたしかいない」と言われて満足する人もいれば、
オリンピックで金メダルを手にしなければ競技者としての自分にアイデンティファイできない人もいれば、
「金」や「権力」という強力な社会的メディアを独占せねば満たされない人もいる。

有名なりたいとか、愛されたいとか、安寧を得たいとか、
すべての欲求は、システムとしての自己の保存欲求に根差している。

その証拠に、人は誰しも共通して「死」を最も恐れる。

「死」とは、つまり自己の断絶、未来における自己同一性の絶対的終焉を意味します。

死後の世界とか、死後の名誉とか、自己同一性の保持への絶望とか、
そういうもののために自ら死を選ぶ人もjいますが、
たいていの人は「死」を恐れる。

そういう事情もあり、
人間も他の事物と同様に、その存在に大きな矛盾を抱えている。

つまり、
他者との「差異」がなければ自分でいられない。
それなのに、他者との関わりがなければまた「自分」でいられない。

そういう厄介な生き物なのです。



で、ここまで前置きです(毎度いちいち長い。。。)

人間がそういう生き物だと理解したとして、
では、それがわかった人間は何を求めるべきなのか?

何だかんだと難しいことを言ったり、やったりする必要などない。
自分を唯一無二の愛すべき存在として大事にしてくれる人間を一人でも多く作れば良いだけだ。

以上。人生の目的の証明終わり。

……だと、あまりおもしろくないので(笑)、
やはりシステムとしての高度化を目指したくなる。

化学反応から細胞の活動に至るまで、
あらゆる事物に言えることですが、
それぞれが一定の蓋然性を有したシステムの大量ネットワーク(統合体)は、
より高度な不確定性を生み出せるらしい。

まさか素粒子が無数に反応するだけの世界で、これほど多種多様な物質が生成されることのなろうとは。
まさか神経細胞を無数に配置したら、人間の自我という意味不明な現象が発生しようとは。

まさに神様もびっくりな事態ですが、
実はこれはこの世界に「織り込み済みの法則」とも言える。

どの観測地点から見てもバラバラな事物を、
高度に統合して機能させれば今までにないおもしろい現象が発生する。

ある意味、インターネットが生み出したネット文化もそうですね。

「じゃあ、それを具体的にどうやってやるんだよ?」という件ですが、
さて、どうしよう(笑い)