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消防とYEG

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5月16日郡山市にあるビッグパレットふくしまにて炊き出しがありました。

ここには、主に富岡町と川内村の方が避難されていて、両役場機能も移転してます。


北大阪YEGのみなさんと川﨑麻世さんが大阪うどんを850食提供。

ありがとうございました。m(_ _ )m

そのお手伝いを郡山YEGが行いました。

関西人のボケとツッコミで明るく楽しく作業できました。

北大阪YEG河本会長とは日本YEGH20研修委員会の仲間であり、久々の顔合わせ。

南三陸と石巻で炊き出しして、郡山入りとのこと。

ちなみに夜8時に帰られてから、枚方市に着いたのは、朝8時だそう。

そのまま仕事・・・。本当にお疲れ様でした。(☆。☆)


炊き出しがひと段落したところで、ある方がぽつりと

「ここの避難所は雰囲気暗い・・・。」

絶句してしまいました。(((゜д゜;)))

津波で多くを失っていても先をみて明るくすごされている岩手・宮城

それに比べて福島は・・・。

物的被害は少なくても、行政ごと避難を余儀なくされてる現状と見通し。

郡山市内でも事実上、屋内退避し続けている毎日。


気がつきませんでしたが、自分たちも暗いんだろうな。。

率先して明るくいかなきゃならないな。

顔晴ります。o(^▽^)o

今日、当社の出先がある南相馬市原町区(原発20~30kmの屋内退避範囲)に行ってきました。
添付写真は最短で南相馬へ向かうときにかすめた20kmの境界です。


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ここは直近の測定で原発から20km以上離れたところでもっとも高い数値(66μsv/h)を記録した(今日の新聞に出てました)地区です。
ゴーストタウンでした。
その付近で警察に止められ、通過理由を問われました。
警察(警視庁)も防護服で外・・・。 がんばってました。

南相馬市の地震の被害は、津波を受けた地区を除けばそんなにありません。
被害は郡山のほうがひどいのです。
一時ほとんどの市民が避難してましたが(当社社員の一部は郡山に避難して郡山勤務してます)半分ぐらいは戻っています。
市中心部の放射能値はかえって郡山より低い値(0.8μsv/h、郡山1.8μsv/h)です。
海から山のある西部に向かう(原発から離れる方向)と急激に上がってまいります。
大型店はすべて閉まってます。
商店街は店を開けてがんばってます
買い物は商店街が便利とのこと。
屋内退避というだけで流通がなくなっているので、荷物は北へ20kmの相馬市へ引き取りに行ってます。
そんな中で南相馬市民は風評被害をもろともせず必死にがんばってます。
もちろん福島県民もです。
会津地区はまったく被害(地震、原発)ありません。
郡山もまったくとはいいませんが放射能被害はほとんどなく、稲作も動きはじめてます。


われわれが受けている一番大きな被害は間違いなく「風評」


岩手・宮城は復帰へ確実に大きく前に進んでます。
福島は原発で遅れてますが少しづつ前にすすんでます。ヾ(@°▽°@)ノ


そんな当社及び地域の復帰をめざし、今、私の腰は悲鳴を若干あげながら動いています。


顔晴ろう福島(≡^∇^≡)

郡山周辺では、防災設備をはじめ、応急処置が一段落して

本復旧へむけて進んでいます。

しかしながら、地域としての福島県は明るい見通しが

まったくたっていません。

ちなみに当社の南相馬市にある出先は全員避難。

かたずけもなされてないのが現実。

風評被害も深刻。


ですが、経済が動くことが復興の一歩だと感じます。


電力は控えたとしても、

被災地以外は「自粛」をするべきではないと思いますが、いかがでしょうか。

被災地でも好きで「自粛」しているわけではなく、やりたくてもできないのです。


消費は産地を潤します。ヾ(@°▽°@)ノ


今となっての自粛は被害を受けてない方の自己満足だと思います。

同情とは意味が違います。

いつもどおりが結果として、支援に繋がっていくのだと考えます。

日本はあらゆる流通で成り立っています。

風が吹けば桶屋が儲かる。

復興の流れを止めないでほしい。

切なる願いです。