さて歌詞の続きです。
Two drifters off to see the world
There's such a lot of world to see
We're after the same rainbow's end
Waitin' round the bend
My huckleberry friend
Moon river and me
1,2行目: "drifter" は ”漂流者” "off" は<動詞>で”岸を離れる”
「世界を見るために二人で岸を離れ、河をを流れていく
こんなにもたくさん見るべき世界はある
という感じでしょうか。
3,4行目: "we" は最後に出てくるように "Moon River" と "me"
「二人で同じ虹の尻尾を追いかける
それは、弓のように曲がった端っこで待ってくれている
最後の2行: "huckleberry" は、strawberry や raspberry のように食用 果実ですが、当然、連想されるのは、大文字の"Huckleberry"、
アメリカ文学を代表する偉大な作品、マーク・トゥエイン (Mark Twain) の『ハックルベリー・フィンの冒険』 (ADVENTURES OF HUCKLEBERRY FINN) の主人公の名前です。
ハック (ハックルベリー・フィン)は、黒人の使用人ジムと二人、自由を求めてミシシッピ川を流れて行きます(もちろんこの”川”も大河です)。
前半で予告したように、南部、ジョージア州サバンナ生まれの作詞家ジョニー・マーサーの念頭に、間違いなくこのストーリがあったと思われます。
ということで、
幼いころから慣れ親しんだ友だち
”ムーン・リバー”と”わたし”」
とでもなるのでしょうか。
「ムーン・リバー」は、ニューヨークのハドソン川というよりは、南部を流れる”父なる河” ("Ol' Man River") の豊かな流れと、それをやさしく見守るように照らし出す”お月さま”というイメージが、ぼくには”ピッタリ”きます。
ついでに”月”の模様は、日本では”ウサギの餅つき”ですが、西洋では ”男の顔 (Man in the moon)”に見えるようです。
奔放な息子たちを見守る、父親の慈愛に満ちた表情、父親の端くれとして”グッ”ときますね。
(Louis Maistros, "Super Moon Over The Mississipi River in New
Orleans,) 2014. Photo from fineartamerica.com)
いずれにしても、この曲は、ある意味で、フォークソングの要素を持っていると思います。
それは、世界中の多くの人がメロディーを知っていて、歌詞が短かく覚えやすいからです。
いつか、どこかで、皆さんと一緒に歌えたらいいですね。
*
ところで、前々回紹介した 「京のムーン・リバー」ですが、ミシシッピ川とは比較にならない細い流れの賀茂川と、たおやかな姿の東山に昇る”月”は、「ムーン・リバー」という曲のイメージとはかけ離れているということになりますね。
(先日、満月の夜のワンショット)
♪月はおぼろに東山
霞む夜ごとのかがり火に
夢もいざよう紅桜・・・♪
悔しいけど、やっぱりこっち(「祇園小唄」)が、しっくりきますね!
*
御所散歩ブリーフ・バージョン点描です。
”出水の小川”沿い:手前、御衣黄はまだ咲いていませんでした。
奥、里桜は満開。
可愛い園児や女子高生の訪問者は桜を背景に記念撮影。
ランドマークのクスノキの大木、葉っぱの入れ替わる準備が進んでいました。
ゆきやなぎ、まだ盛んに咲いていました。
Which river is your "Moon River" ?