今めちゃくちゃしんどい人への手紙 | 本田紀子 Blog

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「マインドの力・英語スキル・セルフケア」を軸に、好奇心と行動力で未来を創造する「セルフ・リーダーシップ」のノウハウを伝えています。

今めちゃくちゃしんどい人に向けて

めちゃくちゃしんどかった自分の話をします


自分を満たす

とか

自分を癒す

とか

自分を愛する

とか

自分の機嫌は自分で取る

とかって

最近やたら流行ってて


自分が本当に心の芯から苦しいときに

こういう系のこと聞くともっと苦しくなった


「あなたは自分を満たせてない」

「あなたは自分を癒やせてない」

「あなたは自分を愛せてない」

「あなたは自分の機嫌を自分で取れてない」

って言われてるようで


キレイゴトは優雅でよろしおすなぁ

そない言うてはるあなた様は

般若の形相で怒りを押し殺して

子供を殴らへんだけで精一杯の

本当はずっと前から泣きたい気持ちを抑えて抑えて

負の感情が何年分も心の圧力鍋パンッパンに詰まってるこのダメ母を

眺めて哀れむ余裕があって

さぞ気持ち良かろうて


自分がこんな母親じゃあかんことなんて

自分がいちばんわかってる

何年も前からわかってて苦しんできてる


なぜ

自分で自分を

満たしたり

癒やしたり

愛したり

機嫌を取ったりできないのかというと


私は子供の世話と家のことと仕事と雑事とあれとこれとそれと!

やりたいことができない苛立ちと!

自分の時間が

昨日も今日も明日もないことに疲れ果ててて!

こんな毎日があと何年続くねんって生きる力も薄れてるときに!

さらに追い討ちで子供に朝からひどくグズられ倒したりして

もう予定も何もめちゃくちゃになって!


いっぱいいっぱいで

もう無理無理無理無理無理無理!

ってなってるときに


さらに

子供のときに辛かったこととか

悲しかったけど誰にも聞いてもらわれへんかったこととか

しんどいって言ったら怒られたり

もっと頑張れとか

言うこと聞けへんねやったら出て行けとか

そしてほんまに玄関から表に引きずり出されたり

泣いても謝っても玄関の外で

鍵閉められてひとりぼっちで放り出されたままやったり

自分は生きてるだけで迷惑かけてる子供やって

家に置いてもらうためには

育てがいのある子供になって

勉強も習い事も下のきょうだいの世話も何もかも

ぜんぶ頑張り続けて

常に人の役に立って

気を使い続けなあかんかったことが


自分には当たり前やったけど

そんな生き苦しさの孤独は当たり前ではないらしいと

大人になってからわかり始めて

ハラワタの煮えくりかえる苦しさが

今まさに自分の体の奥底から

また何回も湧き出てくるからやねん!って


言いたかったよな


そして誰か優しい人に

「しんどかったなぁ、大変やったね」って

背中のひとつも撫でられてみたい人生やったよな


(現実では

「そんなん言わんとき、親のおかげで今の自分があるんやから」とか

たしなめられて

「感謝の足りない自分」に

自己肯定感なんかコッパミジン

恥の感情がさらに上乗せされるだけ)


で、

苦しいからこそ

自分に足りないのはこれかと思い込んで


自分を満たす

とか

自分を癒す

とか

自分を愛する

とか

自分の機嫌は自分で取る

とかって

さんざんやってきたけど


私には気づいたことがある


結局これって

文の中に「自分」ばっかり


自分を満たす

自分を癒す

自分を愛する

自分の機嫌は自分で取る


4つの短文に5つの「自分」

多すぎませんかね

あなたの周りの人たちは

あなたの中にいるの?


それとも

あなたの中はとても孤独で

心の中のあなたは

ひとりぼっちで頑張っていて


「ぜんぶ自分で解決しなければいけない」

とまだ背負い込んでる?


この「自分」に終始する「ごきげんメソッド」みたいなやつを

私を含めみんながやろうとするのは


「誰にも迷惑をかけずに自分を楽にする方法」

が知りたいからやと思う


「人を変えずに自分を変えよう」ってよく聞くけど


電車でたまたま隣に座った他人を変えようとしてるんじゃないんやから


家の中で、身近な人が相手なら、

相手も自分も一緒に変わる以外、

共に生きていけるわけないです


「あなたはそのままでいいの、

私が変わればいいんだから」?


これをまだやり続けるの?


これは

小さい子供にとって

親は生存を保証する絶対的な存在であって

逆らえない

だから

家に置いてもらうために

一生懸命頑張る以外なかった私の

子供時代のサバイバル法と一緒


私が頑張ればうまくいくはず

私が我慢すればうまくいくはず

私がいい子でいれば大人は優しくしてくれる

私が

私が

私が

私が自分を満たせば

私が自分を癒せば

私が自分を愛すれば

私が自分の機嫌を自分で取れば


「しあわせになれるのよ、きっと」


???????


違う


もうやめようこんなこと


自分で自分を愛そうとしても

しんどすぎて自分すら愛せなくて


子供を愛したいのに愛せなくて

自己嫌悪と罪悪感と

自責の念と恥の感情で苦しいのに


それを人に言わず

助けを求めることもできず

お願いもできず

お任せもできずに

責任感が強くて

頑張り屋さんで

なんでも自分で抱えこんで

まださらに

自分にできることをやろうとして


私が自分を満たせば

私が自分を癒せば

私が自分を愛すれば

私が自分の機嫌を自分で取ればって


何もなかったみたいに

昨日と同じ今日を繰り返すのやめよう


「自分を変えること」の方が

「相手にお願いする」よりもハードルが低かっただけで


「相手にお願いしてイヤな顔される」

「雰囲気悪くなる」

くらいなら私が我慢した方がマシで


お願いしてイヤな思いするくらいなら

最初から頼まへんって決めただけで


本当は

子育ても

家のことも

あれもこれもそれも


「自分も相手も一緒に変わっていけるような

とことん腹を割りつくした本音の話し合い」ができて


しんどさを分かち合って

大変なことも半分ずつでよくなったら


今よりずっと負担が減って

今よりずっと楽になって

今よりずっと長く寝られて

今よりずっと気が軽くなったから


なんか笑えてきて

気楽になったら

機嫌は勝手に良くなって


私は

満たされ

癒やされ

自分も人も愛する余裕ができてきて

生きるのがちょっと楽になって


あぁこんなこと

ひとりぼっちでやれるわけなかったって

人への感謝もおのずと湧いてくるようになると


これまでずっとずっと

知らなかったから苦しんでました




子供の時は

いかに親が理不尽でも

子供が話し合いを親に提案して

親と共に変わっていくなんてできなかったわけで


だから大人になってからも

本当の自分の本音を

本気で相手に話したら

今のこの生活を失うかもしれないと恐れて


人を変えずに私がまず変わればいいと聞けば

これを正解やと思い込んでたけど


そんなわけなかったです


そもそも

自分で自分を

満たしたり癒やしたり

愛したりできている人が


苦しんでいる相手に向かって

「人を変えようとせずに、あなたがまず変わらないとね」なんて言うだろうか


苦しんでいる「自分」に向かって

「人を変えようとせずに、自分がまず変わらないとね」と

自分で自分を叱咤激励するからこそ

(ここでも「自分」ばっかり)

いつまでもしんどかった私は思う


繰り返し大激震の起こるできごとと

「自分も相手も一緒に変わっていけるような

とことん腹を割りつくした本音の話し合い」を重ねて


私は何年も抱え込んで

お願いもお任せもできなかったまま苦しんできたことを

本気で伝えた


「私はもうしんどいから、あれとこれとそれを責任もって代わってください」

「休ませて」


そして起きた変化は

「あなたがしんどいのだから、私があれとこれとそれを代わります」

「だから休んでて」

でした



満たす

癒やす

愛する

ひとりだけでやらなくていい


お願いして一緒に生きればいい


(「機嫌を取る」

にいたっては

子供時代にサバイバル能力として身につけざるを得なかった

「親の機嫌を取る」の名残では?

とさえ思う)


機嫌の悪い人がいたら自分まで苦しくなるのは

子供のころに「境界線」が踏みにじられてきた名残です


そんな時は

機嫌の悪い相手じゃなくて

そっと

自分の背中をまず撫でる気持ちで

「子供の頃は大人の機嫌が悪いとき怖かったね。もう大丈夫」と


今はもう大丈夫な自分の「いまここ」に

意識を連れ戻してこれるといいなと思います



今めちゃくちゃしんどい人が

自分を満たす

とか

自分を癒す

とか

自分を愛する

とか

自分の機嫌は自分で取る

とかの

精神論で自分をさらに追い込むことなく


周りの人たちを巻き込んで変化して

なにか具体的に負担が減らせたら

どんなにいいだろうかと思って書きました


最後まで読んでくださって

ありがとうございました