【幼児転落事故を受けて、ママヨガサークルを再開します】 | 専門性を高めるプロ向け英語コーチング

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A tragedy took a toddler’s life in my local community a few days ago and I’ll reopen my yoga class for the first time in eight years to welcome moms, babies, toddlers and kids to join with me.


聞いたばかりの地元の悲報で、

立ち上がって、

少しずつ動いていきます。


数日前に幼児の転落死亡事故がありました。

現場はすぐ近所の、私がほぼ毎日ストレッチなどをしている場所から、わずか数メートルの地点でした。


おもちゃを片付けなかったから、しつけのつもりでベランダに出した、という母親の供述がネットで猛バッシングを受けています。


そのご家庭のことを少し調べてみると、

たぶん父親はクリスマスも仕事、

年末も仕事、

年明けも仕事、

8年前の第1子出産以降(亡くなったのは第二子です)、

ずっと母親のワンオペ育児だったんじゃないかと思います。


虐待と事故の両面で捜査をしているとのこと。


私自身、1人目の育児は、記憶が無いのか思い出したくないのかわからないくらい辛かった。


出産時の大怪我(バーストラウマと言います)、

その外傷と、ホルモン変化による鬱、

慣れない育児に、

もちろん家族の手はあったけど、

大半はワンオペの孤独、

少し経つと赤ちゃんに食物アレルギーが出てきて、

母乳の私もあらゆる食材が制限され、

外出先の飲料水すら湿疹を引き起こす可能性があり、

お友達とカフェにすら行けない、

その後赤ちゃんが喘息を発症し(アレルギーマーチと言います)、

寝ずの看病、

病院ジプシー、

夜じゅう湿疹で顔をかきむしる小さな手を握って止め、

喘息が出れば夜中の夜間救急病院にかつぎこむ、

いつでも睡眠不足で、

いつでも不安で、

いつでも自分を責めて、

何もかも、産んだ自分のせいだから、

この子を絶対に健康にしないといけない、

と思い詰めては食事を研究し、

自然療法を学び、

海外の栄養学の資格までオンライン取得して、

一心不乱に形相を変えて、何年間も必死でした。


夜中に泣き止まない、

家にひとり、

子供と密室で何日も過ごしていて、ふと

「ベランダから子供を投げるギリギリのライン」が近いのを感じたことがありました。

精神的にもう1歩踏み出してこの線を越えてしまったら、

もう投げてしまう、

私は自分がそんな気持ちになる人間だとは、

その瞬間まで知りませんでした。

自分のことを買いかぶっていた。

マジメで、一生懸命で、勉強もして、努力家で、と。

どこまでも1人で頑張ってしまって、

みんなも自分みたいに大変だろうと思い込んで、

「もう助けて」が言えなかった。

私も何かの予備軍だった。


泣き止まない子供をひとり部屋に残して、

マンションを出て夜中の道を歩き、

「いま万が一のことがあっても、もう仕方ない、

私にはこれが限界やった、もうこれ以上はむり」

と思いながらも、

子供の泣き声の幻聴がどこからか聞こえて、

居ても立ってもいられず、

わずか数分で家に戻る、

この数分で子供が怪我していないか、

生きているかどうか、

目を開けるのが怖いような気持ちで玄関ドアを開けたこと、

何度もありました。


私の場合は、たまたま何も起こらなかった。

ただ運が良かっただけです。


私はいい母親ではない、と思い込み、

もっとこうしてあげたら、

ああしてあげたら、

そうしたら息子は、

私みたいにいろんな葛藤を抱えた大人にならずに済む、

幸せな子供に育ててあげなければならないのに、

母親がこんなので申し訳ない、

これは息子が9歳、娘が5歳になった今でも、

子供の頃に親の癌や機能不全家族、イジメを経験している私に、

つい最近まであった罪悪感です。


そのギリギリのライン、

発狂寸前の密室育児、

アレルギーや喘息の看病をワンオペでやる、

その狂気をいつでも晴らしてくれたのが、

近くのママヨガクラスでした。


アレルギーでかきむしって顔に血のにじむ子供を連れて参加しつつ、

ヨガの最中に私はよく涙ぐんでいました。


今でもお世話になっているその時のヨガの先生は、

ママヨガのクラスで、

私たちママに、

目を閉じて、両手のひらで自分の両眼を温めさせながら、


「ママの眼は、いつでも赤ちゃんをよりよく見ようとして、少し疲れています」


と声をかけてくれて、

その瞬間に私は自分の両手の中で号泣したりして。


そうして少しずつ癒されながら、

産後鬱・育児ノイローゼぎりぎりの数年間を切り抜けつつ、

ヨガ友達ができ、仲間が増え、今のヨガ通訳のお仕事にも繋がってきました。


文字通り、ママヨガだけが命綱だった時代が自分にはありました。

ヨガに救われたから、今こうしてヨタヨタと頼りなくても、

こんな私でもなんとか親をやれています。


息子が0歳の時に、

なんの経験もないまま私が立ち上げたママヨガサークルがありました。

地元では当時、子連れで集える場がほとんどなかったため、

ヨガインストラクターでもない私が、

突き動かされたように猛然と作ったヨガサークルでしたが、

毎週1回、1年間ほど継続し、

メインの活動をヨガ通訳に切り替えて以降、

サークルは終了しましたが、

その時に参加してくれていた親子は今、

息子の小学校のクラスメイトです。

当時は赤ちゃんのお世話に必死で、

そして自分のフラストレーションでいっぱいで、

その先にある小学校のことなんか、1ミリも考える余裕がなかった。


今回、この地元での死亡事故の悲報を受けて、

ママヨガサークルを再開します。

9年前の私よりも、

いまの私には、

猛烈に心強いたくさんのヨガ仲間という強烈な味方が、

しかも全国にいてくれるので、

孤独感はもうないです。


皆さんもどうぞお力を貸してください。

よろしくお願いします。