なぜ過激主義は起こるのか | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします


「過激主義」といわれるような主張ややり方が各地で盛んである。イスラム国は言うまでもなくイスラムの間でも。そして欧州諸国でも排外主義の主張の高まりが多く言われている。日本のネットウヨクなどは基本的には過去の歴史に関して当たり前のことを言っているだけと僕は思っているが、 それでも一部は激しいヘイトスピーチや排外主義的な主張を行っていたりもする。

まあ、以前からあったことで、専門家でないからわからないが、最近になってそのような主張が増えているようには僕には思えない。ネットを通じて個人が情報発信できるようになった分だけ目立っているだけなのだろうと思う。

世界にしてもたとえば、ニューヨークなんて20年30年前はものすごく危険な町であったわけだが今はそんなこともない。リーマンショック後に不況になりまた昔のように犯罪が増えるぞとロンドンに住んでいた僕は少し脅されたものだが、実際にはイギリスでもアメリカでも犯罪の顕著な増加は見られなかったらしい。

もっといえば、20年30年前は人種・性別・その他様々な差別がもっと激しかった。日本もそうだろう。そういったものは急速になくなってきている。あるいは、少なくとも目に見えて表に出てくることはかなり少ない。

G・ベッカーやフリードマン風に言えば(そして僕も同意するが)自由市場の発展と広がりが自然とそのような差別を撲滅してきているというのが現状だと思う。

もちろん、それによって先進国に生まれたという特権や差別する側の身分・出自であった人は相対的に不利になるから、そのような差別をなんとか煽ろうとヘイトスピーチや過激主義が煽られている面が一つあるのだろうと思う。イスラムの伝統を守れといっても世界経済が一体化する中でイスラムの伝統も世界からあまりにかい離しない方向に調整されていかざるを得ないわけでこれに対する反動主義がイスラム国の一つの側面であるように思うがいくらやっても最終的には無駄だろう。

もちろん、日本人よりも韓国人や中国人のほうが犯罪を犯しやすいは傾向としては事実だろうから、差別自体に全く根拠がなかったわけではない。だが、多くの韓国人や中国人は日本人同様に犯罪を犯そうなどと考えていないわけで、それをもって韓国や中国全体を悪のように攻撃するのはおかしいわけで、そのような傾向を指摘するのはいいとしてもそれをことさら強調し排斥しようとするのはこれは過激主義でありただの不満のはけ口に過ぎない。

過激主義は一つは現状維持や差別してきた側の特権維持のための無駄な抵抗といえると思う。

もう一つは、上記の犯罪率の例ではないが世の中が平和になりすぎたということではないかと思う。男性に多いだろうが、やはり平和な世の中で草食化したといっても戦いたいとう欲求を男性は持っているだろう。

貧困が…。格差が…。などといわれるが、多くの場合はこのような過激主義は戦いたいという人間の欲求や何かのために命を懸けてみたいという欲求に結びついているようには思う。そのためにただの犯罪を犯してしまう人もいるかもしれないが、大義なき犯罪に面白おかしく身を投じてみたいという人はやはり豊かな社会では少ないということではないだろうか。平和で豊かな時代にそれを実現してくれるのは仮想敵を作りそれと戦う。それが過激主義やテロ行為しかないのかもしれない。

さらに世界が豊かになり差別がなくなればそのような行為は減るのだろう。だが、人間の根本欲求として戦いたい・命を懸けたいというものがあり、そして社会からの疎外感というものがなくなることはないであろう以上は過激主義やテロというのは非常に残念であるが今後もなくなることはないのだろうと思う。