同一労働・同一賃金? | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

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ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします

少し前の話だが竹中平蔵氏が「正社員をなくすしかない」と発言して、また話題になっているらしい。まあ、ありがちな揚げ足取りなのだが…。

そんな中で「同一労働・同一賃金」実現のためにはそれがいいと賛意を示す人もいるらしい。まあ、労働に見合った適切な対価を各人ごとに払えという意味なのだろうからそれに関して別に異論はない。

だが、「同一労働・同一賃金」という理想を念仏のように唱える人たちには大いに疑問がある。

単純に同一の労働とはどういうことなのだろうか。それは行為をさすのか成果を指すのか。100%全く同じ行為をやり続けるということはそもそもあまりないだろう。それ以上に同じ時間同じように働いても成果は人によって様々である。そう考えると同一の労働とは何かというのがよくわからなくなる。

成果に着目するとしよう。たとえば営業は成果が目に見えてはかりやすい職種ではある。だがその営業もいい顧客を回してもらえるか、たまたまいい客を新規開拓できるか(同じように頑張っても確率の問題もある)によって同じくらいに努力しても成果は違うだろう。

どんな仕事でも同一労働で同じ成果などということはあり得ない。だから、同一労働だから同一賃金なのですというのはいまいちピンとこないし、それが公平だとはいえないはずだ。

雇用主はが労働者の成果、あるいは成果に至る過程の努力を正確に測ることは不可能だ。だから、成果に対して給与を払うのかそれとも単純な時間に対して給与を払うのか。ふつうは時間と実績(定性と定量のミックスになるかと思うが)に対して給与を支払うわけで、同一の成果であっても同一の賃金になることなどありえないし、同一の労働時間で同一の賃金ということもあり得ないわけだ。

だが、正社員というのはいい待遇じゃないか。非正規社員は同じ成果でも給料が違うぞという批判もあるだろう。

だが、実際には非正規社員(最近増えている専門職というようなものも含めて)のほうが営業などにおいては成果給のほうが多いように思うのだがどうだろうか?

入社1,2年目の新入社員よりも派遣社員のほうが同じ事務仕事でも時給は高いという場合は結構多いように思うのだがどうだろうか?

それらはあまり批判にさらされていないように思うのだ、どうだろうか?

そもそも雇用契約が違うのである。正社員は長期雇用を前提としている。若いうちは給与は安いが将来は上がる(まあ、これからの時代あまり期待しないほうがいいだろうが)前提なのだ。その代わりに転勤や移動命令には基本的には逆らえない。いいことではないがサービス残業も多いわけである。会社としては将来経営幹部(まあ、少なくとも管理職くらいには)なってほしいと思っている人材であり、それにそって育成プログラムがある会社も多いだろう。その分、若いうちはともかく上に行けばプレッシャーもある。そんな環境にいるのが正社員なわけで、正社員のほうが不当に待遇がいいなどと批判するのはどこかお門違いのように思う。

もちろん、今や1/3程度の人は入社3年目に会社を辞める。倒産・廃業する企業も多いし、中小企業のみならず大企業でもリストラ・肩たたきは多いわけで、正社員の身分なんてそもそも絶対じゃない。会社のために身を粉にして働いてでも見返りは何もなしということも多いわけで、正社員がそんないい身分とも思わない。

非正規社員やプロとしての契約社員のほうがいんじゃないかと思うわけで、金融などの成果が目見見えて専門性の高い業界などではそういった契約に自分の身分を変更してしまう人も多いわけだ。また、気安さや自由を優先して派遣社員のままでいたいという人も派遣社員の半数程度はいるという。

正社員をなくせというのはおかしな話でいろんな労働契約の形態があればいいというただそれだけの話なのである。まあ、プロ野球選手のように一から契約を練るのは大変なので、ある程度の定型はあったほうがいいのだろう。正社員とはその一つの在り方に過ぎない。

個人成績が一目同然のプロ野球選手ですら同一成果に対して同一賃金ではない。金持ち球団、貧乏球団。人気がある選手かない選手か。球団の成績や収益状況。もちろん、年功の要素だって加味される。きわめて効率的であるであろう、プロ野球選手の賃金すらそういった様々な不確定要素のもとに決められていく。

正社員は待遇が良くて一生雇用が保障されていて…。なんていうのは転職が当たり前の今の時代には全くの勘違いか、正社員になりたくてもなれなかった人のやっかみに過ぎない。もともと、中小企業は解雇なんて当たり前だったし、今や大企業でも業績が悪化すればリストラは当たり前の時代なのにだ。そして、多くの中小企業はもちろん、大企業のサラリーマンでも生活が大変な時代なのだ。

最後、少し話がずれたが、同一労働・同一賃金は当たり前のこと、同一成果・同一賃金すら成り立つはずがない。もちろん、どのような契約形態を勝ち取れるか。大企業に就職できるか、給与のいい業界に就職できるか。人生に運不運はつきものだと思う。

だが、そもそ同一の労働とは何かを定義すること自体が難しいし雇用主がそれを適切に判別することも不可能だ。同一賃金にしてもみかけの給与だけで判断できるものではない。同一労働・同一賃金などという言葉は幻想にすぎないし、契約形態が違えば仮に同じ仕事をしても給与が違うのは当たり前である。そして、様々な契約形態が自由に結べるほうが正しい社会であり、企業は正社員という身分を廃止せよだとか、逆に非正規雇用は禁止するなどというほうがおかしいのである。同一労働同一賃金という言葉遊びはそろそろやめにしたほうがいい。