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歴史というとどうしても政治の話が中心になる。まあ、それはそれで面白いのだが、政治だけだと一面的な見方になる。そして経済の側面(合理的な思考)がどうしても薄いから陰謀史観とかそういうのが大手をきかせるわけだ。
網野善彦氏は庶民の生活や特に農民以外の人々の生活に焦点をあてて独特の歴史観を披露してくれる。その内容は政治の話が中心で一面的でステレオタイプなつまらない学校の授業とは一味もふた味も違うのだ。
彼が話題になったのっていつくらいなのだろうか。僕はかれこれ10年以上も彼の本を読みたいと思いながら読んでいなかった。おそらく今の最新の研究からは古いというものやおかしいというものも多いだろう。。。その辺りは歴史学にそれほど詳しくない僕にはわからない。
ただ、一ついえるのは経済学を学び興味がある人間。小さな政府を支持する人間としては庶民の生活は経済活動に焦点をあてた彼の歴史観というのはきわめて合理的ですんなり入ってくるのである。前置きが長くなったが今日紹介するのはこの一冊だ。
日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)
まず興味深いのはいわゆる被差別階級の存在を古代にさかのぼってみていく章だ。“穢れ”を神聖なものと捉えていた時代には彼らは必ずしも差別を受けた存在ではなかったという。そして、天皇や寺社などと結びつくことで独特の職能集団を築き上げていたらしい。が、室町以降、“穢れ”がただ単に汚いもの・忌避すべきものとなって以降は彼らは差別を受ける存在になったという。
また、以前、僕も書いたが女性に関しての捉え方も非常におもしろい。僕がいつも言うように性におおらかで家庭内でも権力を持ち社会でも積極的に商売を行っていた特に室町以前の女性の姿を網野氏も描き出す。が、それ以降は女性は徐々に抑圧されたとも彼は書いているが・・・。
女性は土地や財産を所有し相続しうる存在であったこと。商売人にも女性が多かったこと。当然ながら女性の識字率が高かったことなどが解説される。(参考記事→お小遣い制は恐ろしい。日本女性の誤解論
)
また、日本は農民だらけの国だったと多くの人は歴史の授業で教わったはずだ。だが、日本はそれなりに経済の発展した国であり縄文時代から交易が盛んに行われていた。なのに、なぜそんなに農民の数が多いのか?という疑問を筆者は持っていたらしい。この辺りの疑問の持ち方は非常に合理的で僕は大好きだ。そして、固定観念を捨てて調べた結果江戸時代にいわゆる百姓といわれた人の中には大多数の承認や漁民その他を含んでいたということがわかる。多くの日本人が百姓=農民と思っていてそれに基づいて教科書も書かれているが、実はそうではないのだという。そして、日本の農民の数はかなり少なく、自給自足ではない発展した商品経済が存在していたことを明らかにしてくれる。
まあ、こんな感じでいろんな発見があるのが本書である。もちろん、僕からしたら左よりだな~とかそれは無理がないか?ということも書いてあるのだが上記のようなおもしろい発見が多くて読んでいて新しい発想を吹き込んでもらえるわけだ。いきいきとした庶民の姿がそこにはある。そして、人間は古来から自由で合理的な選択を行ってきた。そしてその結果として今の社会があるのだということを改めて確認できる一冊といえる。政治偏重・暗記重視で非合理的な思考を押し付ける今の歴史教科書ははっきりいっていらないんじゃないかと思ったりするのである。
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