東京電力は免責される? | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

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ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします

原子力損害の賠償に関する法律によると、「異常に巨大な天災地変」や「社会的動乱」による原子力事故については電子力事業者は免責され、政府が「必要な措置」を講ずると規定されているという。

この規定をたてにとって東電が賠償を行わずに政府(=我々納税者)が損害賠償を背負わされる可能性があるのではないかと僕は危惧している。


実際、早速こんなニュースが出ている。


政府賠償1兆円超も 福島原発、被害者に
政府は20日、東京電力福島第1原発の事故について、原子力事業者による損害賠償を定めた「原子力損害賠償法(原賠法)」の例外規定を初めて適用し、被害者の損害を国が賠償する方向で検討に入った。(産経新聞より引用)

ヒステリックに東電はつぶれて当然!という感情のみに基づく議論に組する気はない。原発が危機的な状況なのに原発反対の主張を広めようとしていた「原発ガー」の肩を持つつもりもない。以前も書いたが僕自身は原発賛成でも反対でもない。

僕は過去の記事(→原発事故の原因は政府主導のエネルギー政策にあることは間違いない )でも書いたが、この問題の根本は官民一体のエネルギー政策にあることはほぼ間違いないと考えている。「私有財産」という最も大切にされるべき自由主義の概念を捻じ曲げて、政府が原子力研究や原発立地地域の住民への補助金を電力会社の代わりに支払い続けたことは今回の事故のひとつの要因になったことは間違いない。(もちろん、市場に任せたら起こらなかったというつもりもない。しかし、政府が介入しても問題が起こるのであれば、政府が介入する必要はないといういい例なはずだ)

その上に、本来、東電が支払うべき、様々な健康被害・風評に基づく被害に対する賠償金を免責されるという事態があってはならないはずだ。そんなことをすればますます電力会社のモラルハザードを招き市場規律をゆがめる結果になるのは間違いない。

免責が行われなければ、今後、原発を計画/運営している電力会社はひとたび想定外でも大規模な天災やテロなどによって同様の事態が起こった場合には膨大な賠償金の支払いが必要となるというリスクを織り込んだ上で原発建設の可否(あるいは既存設備の運営)を判断するだろう。当然、経営者には厳しい経営責任が求められる。これがあるべき姿のはずだ。

そもそも、通常の環境下において原発が大事故を起こすと考えている人は極端な原発反対派以外には少ないはずだ。問題は、今回のような大天災やテロなどが起こったときである。その確率は低いが起こった場合には周辺地域に甚大な被害(風評も含む)をもたらす。この原発の最大のリスクは発生する可能性はかなり低いが、起こったらとんでもない賠償責任を負わされるというものだろう。期待値(確率×損失額)でみればこの値はかなり高いはずだ。このリスクを電力会社が背負わないとしたら、引き続き、原子力発電は電力会社にとって「ウマー」なビジネスであることは間違いなく、ほとぼりがさめたら、経団連などの老人軍団が政府に働きかけて納税者の金を基にした原発推進を叫び始めるかもしれない。

こういったリスクの過小評価と政府による肩代わりは市場においても電力会社には暗黙の政府保証がついているとの認識をもたらし、彼らの資金調達をより容易にし過剰な原発投資を招いた可能性も高い。

とにかく、上記のような免責事項を適用させては決してならない。それは道徳的見地のみならず、自由主義経済の下に生きる我々の責務である。東京電力という会社はすべての被害に対する支払いの義務がある。電力事業者自身と市場に原発のリスクを適切に認識させるためにも政府が免責事項を適用しないために我々は全力を尽くすべきだろう。(もちろん、東電が払えない分を税金でまかなうことに僕はそれほど異議はない。問題は、東電の支払い分を政府が肩代わりし東電が払わないことによって市場規律がゆがめられるリスクである。)


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