高校時代のノートを見たら原点を思い出しました | 55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

一昔前なら定年を意識する年齢ですが、家族で夢をかなえるために2019年4月に渡米、現地のIT企業のソフトウェア開発部門のエンジニア・PM(プログラムマネージャー)として挑戦しています。

書類だなを整理していたら、なんと高校一年生の時のノートが出てきましたlaugh


上記のノートの「情報技術」というのは、プログラミング技術を学ぶ科目です。

当時はまだ、コンピュータ教育という分野は開拓中の分野でしたが、母校の高校ではしっかりプログラミング教育を高いレベルで展開されていたことが思い出されますsmile

当時の、記念すべき第一回目のプログラミング(情報技術)の授業の内容は、


コーディング」「フローチャート」「デバッグ」とは何か、という感じの内容だったのですねsmile

コーディングとは、ある言語でプログラムを書くこと」なんてノートに書いてあるのを見ると、

あまりの懐かしさに、感慨深いものを感じますが、

・・でも、ですね、わたくし 仕事でフローチャートなんて一回も書いたことはありません_

もちろん今とは時代が違いすぎる、プログラミングの規模も出来得ることも桁が違う、ということはあると思いますが、

40年前の当時でさえ、仕事でまずフローチャートを書いていた人っているのだろうか?と思いますlaugh


それにしてもこの「情報技術」という科目、当時の私にとってはもはや「レクレーションタイム」でしたsmile

もう、その授業が楽しみでしょうがない、早くもっといろいろなプログラムを考えて、そして動かしてみたい、とずっと思っていました。

その「情報技術」という科目に限らず、中高生だった頃の私は 学校の科目を楽しいと思いながらやればそれは苦痛ではなくなり、しかも成績が上がってあらゆる面で得をする というマインドで取り組んでいたため、

学校の授業はあまり苦痛だとは思っていませんでしたが、

それでもやっぱり「情報技術」という科目は別格の楽しみでしたsmile


なお、そのクラスで学んだ専門科目は必ずしもコンピュータ教育に直結するものばかりではなく

電気や電子の技術に関する科目も多数ありました。

例えば「電子技術」という科目があり、アンプやラジオのような トランジスタを活用した電子機器の動作原理を学んだり実際に設計して作ったりする授業でしたが、


今にして思えば、そのような科目は学校側としては「苦肉の策」としてつけられたものだったと思われます。

というのは、当時はまだ純粋なコンピュータプログラミングの系統の授業だけで3年間のカリキュラムを構成できるほどの教育体制が、学校側にできていなかったものと思われ、

結果半分くらいは、それまでその学校で長年扱ってきた電気・電子技術の科目を入れて帳尻を合わせていたのだろうと思われます。

もちろん、コンピュータのハードウェア技術を習得するには、ある程度の電気・電子の技術が必要になってくると思いますが、当時の例えば上記の「電子技術」はほぼ、コンピュータのハードウェアとは関係のないものでした。

ただ、以下のノートを見ると、自分で書いておいてナンですが、無茶苦茶難しいですね。。laugh



 

はっきり言って今の私には全然わからない、まったく手に負えないレベルの内容ですが笑い泣き、高校生の頃はこういうものをしっかり理解していたはずなので、

高校時代の自分に感心しますlaugh

(ついでに数学 - 微分積分 のノートですが、電子技術よりは簡単なような気が。。笑い泣き




そして今でも、あの頃「情報技術」という科目で学んだアルゴリズムの考え方は私の中で生きていますが、

さすがに電子の技術に関してはもう飛んでしまったかな。。と思います。高校時代の電子技術の恩師の先生方、ごめんなさい_

それでももちろん、「勉強の仕方を学ぶ」という意味では 高校ではその電子技術を含めて素晴らしい体験をさせていただいたと思いますsmile