好きなことを仕事にすればハッピーだろうか | 55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

55歳過ぎてもアメリカでIT企業のエンジニア・PMとして挑戦します

一昔前なら定年を意識する年齢ですが、家族で夢をかなえるために2019年4月に渡米、現地のIT企業のソフトウェア開発部門のエンジニア・PM(プログラムマネージャー)として挑戦しています。

考えてみると、私の人生の中で「コーディング」(プログラムを書く仕事)を正式な仕事にしたことは、過去にはありませんでした。

もちろん、コーディングから完全に離れたことは、社会人になってから一度もありませんでしたが、そのすべては間接的なかかわり方でした。

コンピューター系の専門学校の教師をしていたころも、もちろんプログラミング技術を教えていましたが、「コーディングをすることが仕事」ではありませんでした。

今の会社の日本法人にいた時も、ソフトウェア製品のリリースマネージメントなどはしていましたが、そもそも日本でそのソフトウェア製品を作っているわけではなかったため、コーディングが正式な仕事ではありませんでした。


ただそれでも、どんな組織にいるときでも どんな部門にいるときも、必ず何かツールを作ってそのチームの業務効率があがるように努めていました。

そしてそのようにツールを作っている時、コーディングをしている時が、(それが本来果たすべき役割ではないとわかっていても最も自分自身の仕事のモチベーションがあがるときでした。

だから、「もしもこの会社でコーディングをすることを正式な仕事として行うことができる職種につけたら、どんなに素晴らしいだろう」とずっと思っていたものでした。

したがって、今の仕事は 数年前までの私にとっては夢の仕事だったのです。


しかし。

正直なところ、今「コーディングができて嬉しい」などと思っている余裕はほぼ皆無なのが現実で、かつ明確に決められた期限を守りながら結果を確実に出し続けていくのは楽ではありません。
日々、激しいプレッシャーを感じているのが現実です。

やりたかったこと(コーディング)を思い切りできる状況になったのに、苦しいと感じることの方が多い状況です。


なぜそうなってしまうのか。

それは、以前やっていたコーディング・ツール作成は、「Must (絶対にやらなければならない)」ではなく「Nice to have (できなくても咎められないが、もしもできればプラス)」だったからなのだと思います。

つまり、以前はもともとボランティアベースでやっていたツール作成ですから、少々開発が遅れたところで文句を言われることもなく、またツールの仕様も多くは自分に都合がいいようにしてしまっても大丈夫でした。

そして以前は、そういうツールを作ることで同僚などに喜んでもらえることが多かったものでした。
いわゆるタナボタ的に提供されるものだったため、喜んでもらえたのだと思います。

しかし今は、言ってみれば「できて当たり前」としてコーディングをし、ツールを作っています。
当然、期日までにツールが完成しても、それが当たり前ですから特に特別喜んでもらえるわけでもありません。


結局、好きなことをそのまま仕事にすることができたとしても、だからといってそれで仕事が楽しくて楽しくてしょうがないだけの状態になるわけではない、ということですね。

例えばサッカーが好きで好きでしょうがない、サッカーさえプレーしていればハッピーという青年がいたとして、彼がもしも夢かなってプロのサッカープレイヤーになったとしても、そのプロ選手としての日々はおそらくプレッシャーだらけ、いいプレーをして当たり前、下手にミスなどをした日には人間扱いされない・・というような状況になるのではないかと思われます。
もしかしたら、プロサッカー選手になったことを後悔することもあるかもしれません。


しかし、それでもやはり、頑張るしかないのだと思います。
今の仕事を、今の自分の人生をかけてやると誓ってやっているのですから、前を向いて、1つ1つ確実に、こなしていくしかないと思います。
その先にきっと何か、見えるものがあるはずだと思っています。