工学と宗教はもともと別物じゃないの?!

 

そういわれることが多いのだけど、体験してしまうとねぇ。

 

工学は統計的に「あり得る出来事」と「あり得ない出来事」があります。

 

ところが、「あり得ない出来事」も確立がゼロにならないから、「起こること自体」は否定されない。

 

でも、リアルな世界だと統計的に起こりにくいことは起こらないのですよ。

 

と言いたいのだけど、確率的にあり得ないトラブルに立て続けに当たってきた(今でもそう)体験があります。

 

そうなると、偶然に出来事が発生しているのなら、確率から考えて私の体験はおかしいし、偶然でないなら何らかの意思(流れ)があるのかも知れない。

 

不思議なのは「流れ」に寄りかかってしまうと流れは起こらず、何らかの責任を果たす(自分を差し出すコミットみたいなもの)があると、たちどころに流れが発生するところ。

 

私の偏見だと思うのだけど、宗教に入ると流れに寄りかかってしまうような気がしていて、子供のころから(略版の)新約聖書も旧約聖書も読んでいるのに、特定の宗教にはいろうとは思わない。

 

一方で、工学をベースにしながら意思(流れ)を感じる生活は・・・外から見ればかなり変なんじゃないかと思います。

 

例えば、私は構造物の強度計算も結果の数値は参考であって、それで決めることはないんですが、ある意味、これは相当工学のロジックをしっかり整理しないと工学から逸脱するんですよ。

 

工学か宗教か、どっちかだけ信じていいのなら楽なんだけどなぁ。

 

新しい技術を開発するときって周りから人がいなくなって孤独なものだけど、これはどうなんでしょうねぇ。ふと気が付くと孤独を感じている自分に気づいたりしています。

(自分が孤独かどうかなんて、どうでもいいことなんですけど。)