『二つの銀行が、共に共鳴しあい、
よりよい銀行を作りましょう』という意味合いで、
ラテン語の『共鳴=Resona』から、
『りそな銀行』という銀行が生まれたそうです(wikipediaより)。
このことを知ったとき、共鳴って良い言葉だと思いました。
複数の人や物が、何かをきっかけに共鳴し合い、
新しいモノや、新しい価値、新しい時代を作り出すというイメージを持ったので、
良い言葉、良い響きだと思いました。
皆が一糸乱れず、一つの方向に進んでいく様子を想像したので、
調和のとれた、美しい言葉だと思いました。
しかし最近は、共鳴という言葉よりも、
呼応という言葉の方が好きです。
新しいモノや、新しい価値、新しい時代が生まれるとき、
必要なことは、いろいろな道筋で、
それらが導き出されることだと、
最近は思うのです。
私の中の、共鳴という言葉のイメージは、
皆が同じ道筋で、何かを産み出している感じ。
対して呼応は、目指す場所は皆同じでも、
いろいろな道筋で、何かを産み出している感じ。
呼応という言葉は、より多様性を許容している感じがするのです。
歳を重ねていくうち、
周りと同じようにいろいろなことをしたい、
周りと同じやり方で何かをしたい、
と思っても、
そう出来なくなってきました。
故に、やり方は違っても、
目指しているところは一緒だよ、
ということを、分かってもらいたいのです。
皆と共鳴は出来なくても、
呼応はしているよ、
と、伝えたいのです。