うそ、ねつ造、朝日新聞
私はこれまで繰り返し述べているように自由万歳主義者である。自由を愛するものは須く嘘がl嫌いだ、と思う。もし、自分の自由のために嘘を言い続け反省も謝罪もないなら、それは「自由」が好きなのではなくて「自分だけの自由」(つまり横暴とか無責任だ)が好きなだけだ。嘘は自由の障害であるし、はっきり言えば敵だからだ。戦後日本の「自由」とはそこに立脚していたはずである。
つまり、自由闊達な議論はファシズムの対極にあるし、戦後日本の希望であったはずだ。そこに嘘がまかり通るようであれば、真実も、真実を追い求める意思の自由も意味を失うだろう。だから私は戦前の大本営発表の嘘を憎むし、今回の朝日新聞の件も憎む。まあ、要するに戦前の軍部と今の朝日新聞の本質的な違いが私には分からないし、そして当人の自覚はどうあれ、両者の本質に相違はそれほど無いと思っている。両者とも自らの無謬性を頑なに主張し、そのためには嘘をつき他者を傷つけることもいとわないのだから。
そしてこれまではいざ知らず、これからの朝日新聞の読者は、もし戦前に生まれていれば、隣人を積極的に非国民と罵倒し、戦争を賛美する人たちなのだと考えることにする。時代が異なるので主張の方向性は異なるのだが、はっきりしていることは、彼らにとって、事実はどうでも良く、自分たちが思いたい方向へ事態を進めることが何より大切な人たちなのだろうから。その結果として国を過とうともどうでもいいのかもしれない。
戦前の軍部にはそのことに対する悔悟の念がある人も居たように聞くが、あいにく今のところ、朝日新聞からそのようなことは聞こえないようだ。
まとめ
1:嘘は自由の敵だ。
2:嘘に関して現在の朝日新聞と戦前の軍部は似ていると思う。
2014.9.8追記
朝日新聞から逆の声が聞こえてきたので続きを書いた。
つまり、自由闊達な議論はファシズムの対極にあるし、戦後日本の希望であったはずだ。そこに嘘がまかり通るようであれば、真実も、真実を追い求める意思の自由も意味を失うだろう。だから私は戦前の大本営発表の嘘を憎むし、今回の朝日新聞の件も憎む。まあ、要するに戦前の軍部と今の朝日新聞の本質的な違いが私には分からないし、そして当人の自覚はどうあれ、両者の本質に相違はそれほど無いと思っている。両者とも自らの無謬性を頑なに主張し、そのためには嘘をつき他者を傷つけることもいとわないのだから。
そしてこれまではいざ知らず、これからの朝日新聞の読者は、もし戦前に生まれていれば、隣人を積極的に非国民と罵倒し、戦争を賛美する人たちなのだと考えることにする。時代が異なるので主張の方向性は異なるのだが、はっきりしていることは、彼らにとって、事実はどうでも良く、自分たちが思いたい方向へ事態を進めることが何より大切な人たちなのだろうから。その結果として国を過とうともどうでもいいのかもしれない。
戦前の軍部にはそのことに対する悔悟の念がある人も居たように聞くが、あいにく今のところ、朝日新聞からそのようなことは聞こえないようだ。
まとめ
1:嘘は自由の敵だ。
2:嘘に関して現在の朝日新聞と戦前の軍部は似ていると思う。
2014.9.8追記
朝日新聞から逆の声が聞こえてきたので続きを書いた。