人生は金だ、というもう一つの話 | 永遠のビギナーのブログ

人生は金だ、というもう一つの話

通常イメージされる「人生は金だ」という台詞とは別のお話です。


人生に価値はあるのか?というまあ普通の十代が考えるようなことを遙か昔に考えて、結論として「価値はない」というところに自分としては落ち着いたわけですが、まあその言葉も結構誤解が生じやすいし、うまいたとえも見つからず放置してきた(大人はわざわざそんなこと言わない)のですが「まあ言って(書いて)おいても良いかな」ぐらいに達観してきたので書き残しておこうかと。


とりあえず誤解を受けやすいのでここでの「金」(かね)とは何かをはっきりさせておきましょう。


とりあえず「金」とよく似た二つの言葉「通貨」、「貨幣」のこの文中での使い分けから。貨幣とは実態(つまり物としての形)をもったもので今では通常、紙幣か硬貨を指します。一万円札とか百円玉ですね。「通貨」は実態の有無を問いません。一万円札20枚でも銀行の残高(これは今では電子データ)20万円でも同じ「通貨」20万円です。


ここでの「金」とは通貨だと思ってください。


たとえば電子データそれ自体にたいした価値はありません。何かの拍子で吹き飛んでしまう、些細な物質の物理状態です。これ(電子データ=金)に価値があるのは交換可能だ(と思っている)からです。交換した結果がおいしい食べ物だったり、快適なサービスだったりします。つまり「金」は何か価値のある別物に交換できる(それ自体は)無価値なものです。


人生も同じようなものだと考えています。


人生自体に価値はありません。ある個人の人生はその人が生まれてから死ぬまでの時間内で定義されますが、生きていると言うことはその時間を何かと交換します。これは行為または実行と呼ばれます。何かの思索にふけることも行為であり実行です。その結果を発表する、またはしないのも行為です(後者はその否定ですが)。スポーツをすることも恋愛をすることもゲームをすることも、あなたが時間と交換した行為であり、あなたの人生の一部です。それらの行為には価値があるでしょう。どのような価値なのかはご自分で決めてかまわないと思います。そして他者も自分の行為と絡めてあなたの行為の評価をするでしょう。その評価は必ずしもあなた自身の評価と一致するとは限りませんがそれは当たり前です。ワインの非常に好きな人が一本のワインに20万払うことはあるでしょうが、そうでない人はそのようなことはしないでしょうから。


この文章を読んでいる方は当然ながらある程度の人生を歩んでいるでしょう。それなりの時間を行為と交換してきているはずです。そしてそれはこれからも続くことでしょう。もちろんいつまでかは分かりませんが。あなたはいくら入っているか分からない財布を持っているようなものです。この財布からは常にいくらか出て行きます。あなたはリアルタイムにそれを何に使うか決めなければいけません。「何もしない」という決定でもそれは実行されます。財布が空になった時にあなたの人生は終わります。そしてそれまで交換して積み上がったものがあなたの人生の価値です。


だから人生は金なのです。