西中仕切跡です。
おそらく正面挟んで両サイドに櫓があったことでしょう。
どうやらここには鐘櫓という櫓があったようですね。
石垣と階段がありますが、木の根で少し浸食されて崩れています。
この上に火災や緊急時に鐘が鳴らされていたようです。
そしてもう一つが太鼓櫓です。
太鼓櫓は時間を知らせるためのものです。
かなり大きな岩が「切り込み接ぎ」と言う手法で積み上げられています。
どうやらこれが一番大きな石で、横幅は3メートル以上あります。
こちらもですね。
画像左はじの石垣を見ると、大きな岩に合わせて上手に組み合わせています。
ここから先が三の丸と言うことになります。
三の丸には他藩の使者や家臣が藩主と対面するときに使われていたと書いてあります。
実際、他藩の者がここまで来た時にこのお城はどう映ったのでしょうか。
櫓からの三の丸の景色です。
ここはこれまでの各敷地に比べると少し狭いです。
そして井戸がありました。
が、しかしこの井戸は当時から水の湧いていない空井戸だったそうで、
抜け道に使われていたとか、財宝が隠されていたとの伝説も残っているそうです。
実際は何もなかったそうですが。
そしてこの空井戸は江戸時代には60メートルほどの深さがあったとの記録も残っているそうです。
このお城の1番高い石垣は二の丸北面の
約21メートル
が最も高い場所らしいので、それから更に40メートル程深いとなります。
果たして当時何があったのか。
伊賀上野城の井戸は抜け穴になっていた歴史的史実がありますが…
こちらはどうでしょうか…
夢が広がりますね。
この先の階段を登ると左に二の丸。
右上の登って行くと本丸へと通じています。
続く。。。









