黒御門から奥へ進むと出てきます。

 

椎木門跡。

今は門自体はありませんが、鳥居が立っています。

 

 

鳥居を潜って右を見ると石柱が立っています。

 

こちらは「扇形の石垣」と解説されています。

 

この絵看板によると、椎木門は「枡形虎口」になっていたようですね。

鳥居を潜って正面には当時塀があり、石柱の方に曲がって門を潜る構造だったようです。

そして石柱の方に曲がって門を潜るとこの「扇型の石垣」が正面に見える。

という作りですね。

今は一部しか残っていませんが、下記記載の写真を見てみると、現存している石垣が左の方へ扇形に曲がって積み上げられていたことがわかります。

そしてこの石垣には「田」「井」「△」などの文字が彫られた石があるそうですが、やはりどこの石垣にも見られる慣習のようなものですかね。

 

 

鳥居から扇型の門とは反対に石垣沿いに進むと、石垣に登るための階段が作られています。

こちらは片側ですが、どこかの城にはVの字に広がる階段があったような。。。

 

石垣を登ると中津の歴史博物館が見えます。

石垣の作りも外に張り出していて死角をなくしていますね。

 

先に進むと堀が行き止まりになっています。

 

突き当たりには石垣が組まれていました。

「水門跡」

です。

 

ここには特に解説版などは見当たらなかったのですが、ここからすぐそばには中津川が流れていることから、

中津川の水を引き込む門があったのでしょうか。

続く。

大手門を抜けた左側奥の石垣です

 

こちらが手前の石垣。

 

この説明板によると、この右側の石垣の上半分は復元されたもののようです。

元々この左右の石垣を挟んだ道路は当時なかったようで、明治期に石垣を取り壊して作ったそうですね。

そしておそらく初めて目にするのですが、道路を挟んで左右の石垣を見ると緩やかな弧を描いており、

この組み方を「輪取り」という工法だそうです。

力を内側に集中させ、石垣が崩壊するのを防ぐ作りになっているそうです。

初めて聞いたので調べて見ると、このような工法で作られたお城だと、

「小倉城」

「浜松城」

が有名で、他にも各地に見られるそうです。

全然初めて聞いた工法ではないですね。

小倉は地元福岡だし、浜松城も行って記事にしているけど、覚えてないもんですね。

 

全国の史跡に携わる方にお願いしたい。。。

色褪せて割れてしまっている看板を新しくしていただきたい。。。

見にくいです。。。

 

中津城の石垣は築城当時は今より1メートルと少し低かったようです。

そして排水溝も普請されていたようですね。

17世紀頃に現在の高さに造り直されたそうです。

 

現在本丸跡は中津公園となっています。

こちらは道路の左側の石垣で、当時は盛り土のみだったそうです。

復元工事の時に盛り土から石垣に変わったそうですね。

道路が当時からあればこの裏側も石垣で、おそらく櫓が立っていたことでしょう。

 

本丸跡です。

かなり広いですね。

 

お城あるある。

偉い人の像が立っています。

 

物凄く簡単に要約すると、海外を渡り歩いて日本で初めて歯科医師免許を取得した方だそうです。

偉い人ですね。

 

中津城が築城される前はこの場所には館(寺院)があったのではないかとの説が有力だそうです。

当時は石を積み重ねる工法の石垣ではなく、石やタイル状の石を貼り付けていたそうです。

そしてその石には墨で日付や梵字などが書かれていたそうです。

続く。

新章です。

 

父の墓参りに合わせて中津城に入ってきました。

 

中津城・別名「扇城」です。

 

こちらは堀に海水を引き込んでいる水城で、他に

「香川の高松城」「愛媛の今治城」があり、日本三大水城とされています。

 

高松城はこれまで2度行ったことがあります。

その内の一度はこちらの記事へ。




 

本来二の丸があったところの名前が廃城と共に「二の丁」と呼ばれるようになったそうです。

あまり見ない呼び名変更ですね。

中津城南東に位置する「椎木門」跡。

打ち込みはぎの石垣ですかね。

 

引きで見ると石垣に「鏡石」が見えますね。

4枚あるらしいのですが、車が止まっているので3枚見えます。

わかりますか?

正解はこちら。

 



その椎木門あとから少し後ろに下がると

「黒御門」跡があります。

 

現在は門跡と言っても壁が作られているでけですが、黒御門から椎木門へは虎口になっていて真っ直ぐには入れません。

 

黒御門跡から南西に外周を回ると城の南側に出ますが一直線に伸びた先に鳥居が見えますね。

護国神社かな。

 

左側に庭園がありました。

が、しばらくの間お休みのようです。

 

そのまま進むと堀が見えてきました。

橋の欄干には気になる絵が貼ってありますがこちらは後ほど詳しく出てきます。

この中津城の初代城主は黒田官兵衛です。

有名な武将ですね。

それから何代も代替わりし、細川家が城主になったこともあります。

天守閣は昭和39年に作られたものだそうですが、

そのそれぞれの遺構が残っているお城らしいので楽しみなお城です。

 

続く。

仙台城番外編。

 

せっかくなので城巡り後のひと時も載せようと思います。

 

東京には様々な地下鉄路線が走っていますが、ここ仙台に馴染みのある路線がありました。

 

東西線と南北線。

 

東西線は色も一緒。

 

こういう偶然は出会うと楽しいですね。

 

こちらはランチをいただいた「三本珈琲」さん。

 

城巡りの後の空腹を満たしてくれた美味しいお店だったんですが、どうやら2025/12/30で閉店してしまったようです。

 

残念です。

 

こちらは仙台までせっかく来たから美味しい海鮮物でもいただきたいと思ってふらりと入ったお寿司屋さん。

 

「鮨 吉金」さん。

 

カウンターの回らないお寿司です。

 

まず茶碗蒸しとサラダ。

 

この日は結構寒かったので、これはありがたかったですね。

 

とても美味しかったです。

 

握り。

 

普段マグロなどの赤身の魚より白身を好んで食べるのですが、こちらのマグロはとても美味しかったですね。

 

ミニばらチラシだったかな。

 

昼にパスタを食べたばかりだったのでこれくらいのサイズがちょうど良かった。

 

とても綺麗な店内で席もほぼ満席。

予約してなかったのですが、たまたま空いていて入れて良かった。

 

ひれ酒もいただきました。

 

寿司で1位2位を争うほど好きな干瓢巻き。

こちらもとても美味しかった。

 

仙台城観光で東京から来た事を伝えると、女将さんと大将が色々お話ししていただいて、仙台の地酒もお勧めしてくれたので頂きました。


宝船 浪の音 ゆり

明治4年創業の宮城県の佐々木酒造さん。

 

特別純米酒 鳳陽(ほうよう)

宮城県で最古の酒蔵だそうです。

内ヶ崎酒造さん。

お酒もお寿司ももちろんパスタもどれも美味しかったです。

 

仙台に行った時はまた訪れたいですね。

 

仙台城番外編、おしまい。

仙台・青葉まつりに登場する「政宗公山鉾」と言うものが展示されていました。

高さ5.8メートル。(2階建てくらいの大きさですね)

重さ7.5tもあるそうです。

 

ずいぶん立派ですね。

これを何十人かで引き、上には市長さんが甲冑を着て乗るそうです。

 

こちらも有名な仙台七夕。

 

博物館の外にはこんな胸像がありました。

 

この看板によると、こちらが初代だそうで、戦時中に軍事利用の為に引き取られたけど、戦後に塩竈市で発見されたと書いてありました。

 

もしかしたら軍関係者に政宗公を信奉する人がいて、胸像部分だけでも隠していたのかもしれませんね。。。

 

現地でおじさんに話しかけられまして、その時教えてもらったんですが、この兜の前たてのところ、細くなってますよね?

 

一度ここで折れてしまって(理由は忘れました…)、継ぎ直したところだそうです。

 

政宗公からの本丸。

 

当時「一国一城制」でしたが、この片倉さんと言う侍は青葉城の他に白石城という城の城主だったそうです。

 

例外だったそうですね。

 

そんなに優秀な侍だったんですかね。

 

博物館全景。

 

立派です。

 

場所的にこのかなり広いところが邸跡なんですが、一体どれくらいの屋敷が立っていたのかが気になりますね。

 
おしまい。

巽門跡(たつみもんあと)

 

青葉城南側真ん中ほどに位置します。

 

地図上では入るとすぐに左右に分かれ、片方は天守閣の方へ、もう片方は三の丸へと続きます。

 

こちらも大手門や脇櫓と同じく第二次大戦までは残っていたようです。

 

ここも戦火ですね。。。

 
北上して本丸方面に進む通路には特に高い石垣などはありませんでした。

 

造酒邸跡。

前述しましたが、政宗公の時に大和から招かれた「又右衛門」と言う職人がここで屋敷と酒蔵を与えられたそうです。

 

榧森(かやのもり)と言う苗字をもらい、帯刀も許されたと書いてあります。

 

清水門の由来となった湧水を使ったそうです。

 

また、政宗公が若林城に移った時もそれに従い、若林でも酒造りを行ったそうですね。

 

現在の若林城は宮城刑務所になっているそうです。

 

調べてみたら「榧森」と銘打った日本酒はないそうですね。

 

ありそうだけど。

 

この又右衛門はワインも作っていたそうですが、現在のワインと製法なども一緒だったんでしょうか。

 

結構広い敷地が与えられていたようですね。

 

こちらが三の丸です。

 

めちゃくちゃ広いです。

 

現在ここには仙台市博物館が併設されています。

 

「子門跡」ねのもんあと

 

三の丸の東側に位置しています。

 

昭和時代に修理された石垣が残っています。

 

この石垣の上に木造二階建ての門があったそうです。

 

五色沼まで戻ってきました。

ゆっくりみて回って1時間40分でした。

 

仙台城Part1で五色沼に氷は張っていなかったと書きましたが、張ってますね。

 

氷の上に雪が積もってます。

 

続く。。。

こちらは野面積みですかね。

 

上り始めの高い石垣は切り込みはぎでしたので、こちらの石垣の方が古い時代の物になると考えるのが普通ですが

 

実際はどうなんでしょうか。

 

同じ時代でもこちらは低い石垣なので、手間のかかる切り込みはぎにしなくても良いと考えた可能性もありますからね。

 

現地に針金の箱の中に石を詰めたものがいくつかあったのですが、これを果たして何に使うのかは不明でした。

 

至る所に石垣が見えます。

 

こちらも野面積みですね。

 

傾斜にもうまく積まれています。

雪の下がどうなっているのか気になるところです。

 

本丸の北に位置します。

 

御用酒発祥の地。

 

伊達政宗公は大和の地から職人を呼び寄せこの地に住まわせたようです。

 

そしてその仲介をしたのが「柳生丹波の守宗矩」だそうです。

 

柳生新陰流を使う剣術家ですね。大和柳生藩の初代藩主だそうです。

 

江戸時代に柳生新陰流は将軍家の流儀になっていますね。

 

少し調べてみると、伊達政宗が柳生宗矩に振舞われた酒に感銘を受けた事がきっかけで

 

仙台に職人を呼び寄せることになったそうです。

 

沢門跡と巽門跡の真ん中にあります。

 

「清水門」跡。

 

こちらの石垣も地震で崩れたり変形したりしたそうです。

 

二階建ての二重門だったそうですね。

かなり強固な門だったようです。

何が原因で無くなってしまったかは記載されていませんが、火事か戦火か地震か。

悔やまれますね。

名前の由来に関してはここに酒作りの為の湧水があったようですね。

 

引きで見ると坂の途中に門があったようですね。

いつの日かこちらの清水門も復元してもらいたいものです。

 

続く。。。

 

 

仙台城は初め「千体城」や「千代城」と呼ばれていたようですね。

 

広大な敷地面積で南に広瀬川、北に青葉山に囲まれたとても立地に富んだいいお城です。

 

城下町は1万8千戸、人口5万2千もの巨大な街を作ったようです。

調べてみると現在だと茨城県守谷市、埼玉県羽生市が同じくらいだそうですね。

 

 

最初の工事現場に戻って参りました。

 

 

通行禁止エリアではクレーンを使って何かしらが行われていますが、よく見えません。

石垣の積み直しかな。

 

段々に足場を組んでいるのが見えるので、おそらく石垣修理ですかね。

ここから先ほど通過した「清水門」の方に向かいます。

 

 

石垣が少し崩れていますね。

 

中を覗き込むと表面の奥に「木っ端いし」と呼ばれる石が見えます。

 

こちらは「野面積み」の石垣ですかね。

仙台城は270年もの間、戦火を被らなかったお城だそうです。

 

石垣ももちろんその間の時代にあったさまざまな石垣があるので見ているだけで違いも分かりやすく

 

面白いですね。

 

雪で見えない部分もありますが、それもまた良いですね。

 

続く。

仙台城鳥瞰図。

 

こうしてみるとかなり広範囲に屋敷が構えられていたようです。

 

宮城県護国神社です。

 

 

本丸の裏口に位置する門です。

 

手前の看板のある所と、車道を挟んで向こうの盛り上がった所に門があったようですね。

 

平屋建てで瓦葺きの門があったそうです。

 

潜るとすぐに曲がり角になっており、

 

さらにもう一度向きを変え、計2回向きを変えなければならない防御性の高い門だったようです。

 

この門の外側には駐車場が出来ています。

 

大外から回ろうとしたのですが、この時は通行止めになっていました。

 

看板よく見てみると、迂回路がめちゃくちゃ遠い。。。

 

最初に見学した大手門の方へつながっているようです。

 

もしかしたら車はダメでも人は行けるかと思って警備員さんに聞いてみたけど

 

 

無理でした。。。

 

残念。。。

続く。

こちら仙台城の上空からの絵図です。

ものすごく詳細に書かれているのですが、作者は不明だそうです。

1868年に作成とありますが、これだけの技術ならそれなりに名前のある人だとは思うけど、判明しないもんなんですね。

 

本丸跡から城下を眺めるように佇んでいます。

日本屈指の有名な武将像ですね。

 

土井晩翠さん。

知らなかったんですが、「荒城の月」の作詞された方だそうです。

荒城の月は瀧廉太郎が作曲していて、大分県岡城に史跡がありました。

 

土井晩翠さん。

 

本丸跡看板。

五色沼、政宗像、博物館、大手門脇櫓の解説ですね。

伊達政宗から明治期まで230年の間伊達氏の居城だったそうです。

 

青葉山はお城ができる前は霊場だったそうです。

1600年の関ヶ原の戦い直後から築城が始まり、2年後には一応の完成を見たそうです。

かなり早いですね。

 

大広間跡から奥へ進むと大きな駐車場がありました。

 

手水舎です。

 

大きな鳥居がありますが、これが護国寺ですかね。

仙台城は本丸こそないですが、城主が変わらなかったからなのか、敷地も広大で

 

かなり綺麗に仕上げられていたんだなと思えるお城ですね。

 

関ヶ原以降大きな戦もなかったってのも理由の一つかもしれませんね。

 

続く。