近戸門跡。
ここは普段は家臣や領民が使っていたようです。
この門を出ると
七曲り
と呼ばれるつづら折りの山道を降って先ほどの駐車場に出るようになっているそうです。
そしてこの門を中心に6箇所に櫓を作っていたとありますね。
守りの要と言った所でしょうか。
門跡の石垣の上部には櫓が建ててあった時のものでしょうか、石に窪みがあります。
ここに木材を噛ませて上棟していたのでしょう。
画像正面が近戸門跡ですね。
右側は緩やかな坂道を挟んで2段の石垣が作られています。
この右側の石垣の上の敷地はこちらになります。
普請方跡。
いわゆる現在とは使い方が少し違う歴史用語ですかね。
普請(ふしん)と読み、これだけなら土木作業や建築業に携わる役職の人々です。
これに
方
がついて
普請方
になると
普請奉行の支配下に置かれて大工や人員の職人を監督し、不正を取り締まった役職となります。
現代で言うと現場監督って所でしょう。
これだけ広い敷地に建物がたくさんあるので普段から常駐する必要があるのでしょうね。
草ボーボーですけどめちゃくちゃ広い敷地が用意されています。
小さな木で一部分だけ囲ってあり、よく見えずかなり危険ですが。
井戸ですかね。
底は見えませんでした。
そして普請方の敷地を越えると。
中川覚左衛門屋敷跡
があります。
2年以上かけて発掘し、木材を使ってできる限り再現しているようですね。
復元された屋敷内部です。
前述した水場っぽい作り。
ここにも解説はありませんでした。
櫓らしきものがあります。
上に上がれたので上から目線です。
かなりの敷地面積です。
これは。
トイレですね。
二つあります。
今の和式トイレにも名残がある、着物を引っ掛ける板まで復元されています。
と言うよりこれ見るとトイレって1発で分かりますね。
屋敷跡から北の方角です。
ズーーーーっと向こうに福岡があります。
この覚左衛門と言う人は茶道織部流と言う流派の祖の子孫だそうです。
藩主の中川家に代々支えたそうですが、敷地から見てもかなりの地位だったようですね。
続く。。。