岡城の国指定史跡の理由について書いてあります。

 

明治維新後はかなり荒れていたようですね。

 

昭和に入って整備されたようですが、だいたいこの流れは地元の名士が関わっていることが多いです。

 

別名

 

臥牛城

 

と言うみたいですね。

 

牛が伏せているように見えるからだそうです。

 

岡城大手門の下まで辿り着きました。

 

写真の時間を見ると駐車場からここまで15分歩いています。

 

舗装された道を手ぶらでスニーカーなので、舗装されていない道を甲冑着て武具持って草鞋ならもっとかかるでしょうね。

 

ここからさらに戦いながら進むとなるとかなり厳しい行軍になります。

 

大手門までは整備された階段が続いています。

 

大手門に着く前の高台でここまで遠くを見ることができます。

 

さらに進むと見えてきました。

 

なだらかなカーブを描いた奥に巨大な石垣が見えます。

 

こちらが大手門です。

 

早朝ということもあって日が当たらずすこし暗いですが。

 

この石垣の上に櫓があったのでしょう。

 

黒鉄門って所でしょうか。

 

この看板によるとやはり櫓があったようですね。

 

そして当初大手門はここより東側にあったそうですが、築城の名士藤堂高虎の意見によってこの位置に

 

変えられたとありますね。

 

藤堂高虎という人もあちこちで名前を聞きます。

 

軽く調べてみたところ、この人が関わっている城は14あるそうです。

 

すごいですね。

 

大手門にはこのように礎石と車敷が残っていますね。

 

よっぽど重い扉だったのでしょうか。

 

そしてこちらが藤堂高虎に指摘される前の、旧大手門。

 

南向きになっていて朝日を受けると不利になるとの理由で現在の場所になったそう。

 

そんなことも考えるんですね。

 

ただ頑丈なだけじゃダメな理由です。

 

大手門の内側からの写真です。

 

門に入るための階段も残っていますね。

 

石垣もかなり高いです。

続く。。。