「主よ今日一日
貧しい人や病んでいる人々を助けるために私の手をお望みでしたら今日私のこの手をお使いください
友を求める小さな人々を訪れるために私の足をお望みでしたら今日私のこの足をお使いください
優しい言葉に飢えている人々と語り合うために私の声をお望みでしたら今日私のこの声をお使いください
人というだけでどんな人々も愛するために私の心をお望みでしたら今日私のこの心をお使いください」
おはようございます。
↑の言葉はマザーテレサの祈りです。
ミサ曲として時折歌っているのですが、この間この曲を歌っていて、ふとこの歌を知らない方達にも教えてあげたいなと思ったのです。
「主よ」の箇所を「天よ」とかに変えれば、宗教が受け入れられない方でも通じるものがあると思うので。
こだわりが人の視野を狭くしてしまう事があるので素直な気持ちで受け止めれば結構入ってくるものですよ。
この世には、こういう思いを抱く方が存在すると考えただけでも、心が洗われるような気がしてきませんか?お裾分けして頂いているような感覚?とでも言いましょうか。
人は悪魔にもなれば天使にもなれる。
悪魔は最終的に幸せにはなれない気がするので、天使になるのは無理でもその努力なら少しずつでもできそうです。
実は私は洗礼を受けて10年以上も経つのですが、未だにキリストが復活した事が信じられないでいる人間です。
復活を人が立ち直るという風に考えれば理解はできますが・・・。
随分前に「キリストが宇宙人だったと思っている」と真顔で言っていた人もおります。
そんな時、キリストはおとぎ話の中の人物のようで信じられないけど、マザーテレサは信じられると思ったのです。
マザーテレサの行った事は現実として受け止められるので、こんな方が信じたキリスト教だから自分も信じて見ようと素直に思いました。
ミサ曲に自分の実体験とが重なり、教会の中庭で一人泣いていると、それに気づいた仲間たちが一緒に泣いてくれたあの温かみは私の一生の宝物です。
こんな世の中だから1本の真のようなものが心の中になければ、行く道も右往左往するばかり。
特に私は弱いので、いい時期に、いい出会いができたことで、自由という強さを貰った気がしてます。
それにしてもいつの世も
美しい歌は人を幸せにしてくれるものですね。
ミサ曲とは違うけど、今度娘と一緒にあるアーティストのコンサートに行ってきます。
楽しみだな。また元気貰ってきますね。
この間豆を使ったリース飾りを作りました。
ちょうどこの日、施設でもイルミネーション輝くクリスマスツリーが飾られていました。
教会に通うお年寄りは「あんな派手じゃない」と毎回その豪勢さを窘めますが、その時々の季節の行事はやはりわくわくするものです。
綺麗なものは綺麗なものとして、もっと素直に受け止めてもいいのにとも思うけど、あまのじゃくなだけなのかも?
いつも「先生大変ね」と気を遣って下さる優しい方です。
リースには生命・幸福がいつまでも続くようにという願いが込められているという事を知り、毎年作る事にしたのですが、色合いによるクリスマスリースの由来は、グリーンは「作物の繁栄」、赤い実は「太陽の光」。リボンやベルなどは「魔除け」という意味があるそうですね。
クリスマスイルミネーションにも意味があり、森の木々の間にきらめく無数の星を表しているのだそうです。
色々調べながら作るリース作りも楽しいものです。

