いわきへ行って来ました2
20日、朝3時過ぎに出発。
高速道にのる前、コンビニでお弁当・おにぎりを多めに買った。
3時半、高速道にのるが、燃料節約のため、いつもより低速にて走行する。
黒崎のPAで燃料補給をしようと思ったが、緊急車両等20台以上の給油待ちだったので断念。
順調に磐越道を走行していたが、一般車両だったので、福島との県境手前、津川インターで下ろされ、いわきまで通ずる国道49号線へ。
そこで、福島の現実を見ることになった。
福島県に入ると、朝6時頃にも関わらず、ガソリンスタンドには給油待ちの長蛇の列。
50台は待っていたんだと思う。
もちろんほとんどのスタンドは開店前。
東に進むほどその状態はひどくなった。
郡山市内では100台近く。
市街地以外のスタンドはほとんど「しばらく休業します」の看板。
郡山市内でコンビニに寄った。
店内に入ると…食品はほとんどなし。
あるのは雑誌、生活雑貨、少しの飲料。
いわき市に入ると開いている店など目にしなくなった。
10時、目的地Y倉の会社へ到着。
その時、彼は大変な状況なのにボランティアに行っていて再会出来なかった。
社長さん、社員さんと燃料の容器への移し替えを行う。
作業中も震度3~4の余震。
Y倉を待つ間、社員さんとお話。
その社員さんは地震当日、海岸近くの現場で作業をしていたそうだ。
地震後暫くして、津波が来るから逃げろと言われ、近くにいたおじいさんに犬を託され走って逃げていた。
後ろから迫る津波に気を取られる中、別の方向から来た津波にそのおじいさんと連れ合いが流されていく。
その社員さんは間に合わないと思い、犬と木に登り津波が治まるのを待った。
その間、知り合いのお孫さんが流木に捕まりながら海に流されるのを目撃。
木が倒れたら自分も生きていなかったと言う。
そんなことがあったと笑いながら話してくれるのを見て、いろいろなことがあり過ぎて感情の表現が麻痺してしまったのかなと感じた。
11時半、Y倉が戻る、再会。
2人とも想いを抑えるかのように照れながら挨拶。
涙が出そうで彼の顔を直視出来なかった。
早速、持ってきた食品類を降ろす。
たくさん持ってきてもらったと感謝されたが、来るまでの状況、いろいろな話を聞くと、全然足りてないと思う。
自分の力のなさを感じた。
持ってきたコンビニのお弁当、おにぎりをみんなで食べようと車から持ってくる。
Y倉は、私が持ってきてくれたんだと気を遣い直ぐに食べ出す。
私も続いて食べる。
社員さんにも差し出すが手を付けようとしない。
久しぶりにお弁当を見たので、家に持って帰って家族と食べるんだと。
私は数時間後にはそんなものはいくらでも手にはいるのに。
途中からお弁当を食べるのが辛くなった。
今でもその時の自分の行動、社員さんの想いを考えると涙が出る。
食後、大学の仲間に報告したいからと2人で撮影。
固い握手をして帰路についた。
運転をしながらその写真を見ると、露出が悪く暗い。
また戻って撮り直したいと思っていた矢先、Y倉からの電話。
千葉の奥さんの元に荷物を送りたいが、地元では宅配の受付が出来ないので、上越に帰ってから出してもらえないかとの連絡。
喜んで戻る。
荷物を受け取り、再度撮影。
少し安心してもう一度握手、出発。
帰りは、Y倉の助言で高速道にのれた。
福島県内の磐越道路面は多少の段差はあったが、補修済みで、制限速度を守れば難なく走行出来る。
途中、磐梯山SAでは50リットルもの給油が出来た。
帰りを考えてポリタンクの燃料全てを置いて来られなかったことを後悔する。
上越まで4時間半ほどで戻ってきた。
その時間で行ける場所に、あれほど不便な街がある。
個人の力では微々たる事しかできないけれど…必要に応じてまた行きたいと思う。
いわきへ行って来ました
昨日、福島県いわき市へ行って来ました。
その報告ですが…いろいろな思いがあり長文になってしまいました。
とっても下手な文章ですが…
11日の大地震以降音信不通だった大学同級生Y倉から15日やっと連絡があった。
彼は福島県いわき市の造園会社専務。(いずれは社長)
大学時代、私と同じ学部、同じ学科、同じ研究室…
彼のアパートにお酒・つまみ持参で行き、よく2人で飲んだ。
そしてなんと、修業先として選んだ就職先(東京原宿の造園会社)も一緒。
3年間、いわば同じ釜の飯を食った仲。
いわき市は、地震・津波の被害が大きかったが、それ以上に今は原発事故の影響に晒されている。
彼の住んでいる地域は、今のところ避難・退避指示は出ていないが、今後の安全を考えて、奥さん子供、親は疎開させた。
中でも、奥さん子供は、同じ同級生の千葉在住S吉に頼ったと。
なぜ最初私に連絡くれないかと少し腹立たしかったが、彼もいろいろ考えた末だと言う。
そして、彼はまだ地元に社員がたくさん残っているから、自分もいわきにいるんだと言っていた。
家族も社員も択一できない。
ならば、危険が迫っているかもしれない社員から離れることが出来ない。
同じ経営者として気持ちがわかった。
16日夜、千葉で彼の奥さん子供を世話しているS吉から電話が入った。
Y倉をどうにか応援出来ないかと。
いわきには風評で燃料や食糧がほとんど届かないらしい。
それから仕事をしていても心配で気持ちが落ち着かなくなってしまった。
何か自分に出来ないか。
18日、市場で競りをしていても普段通りの自分ではない。
こうなったら、自己満足でもいいから、Y倉に燃料・食糧を持っていってあげよう。
電話で社員に指示、燃料を集め始めた。
Y倉に明後日行くからと電話。
彼は、明日あたりから物が入ってくるらしいから大丈夫だと言う。
わかるのは明日のお昼頃だからまた電話するよと。
自分の中では、いわきに行くことを決めていたので準備に取りかかった。
当初、自分の車で行こうと思ったが、乗用車では持っていける量に限界がある。
そこで会社のワゴン車を借りて行こうとしたが、普段は花の運搬車として使い、週末はお彼岸、花屋の稼ぎ時。
無理を承知で、責任者で且つ同じ大学後輩でもある私の嫁さん、そして社員に尋ねたところ、快く承諾をもらった。
特に嫁さんは、そういう理由で動き出した私を止められないのはわかっていたんだと思う。
19日、早速朝から燃料を調達しながら、地元のスーパー、ホームセンター事情を視察。
昼過ぎ、Y倉から入荷見込みが未定という電話がはいる。
希望のものを聞き、食糧の調達開始。
上越でもいろいろなものに販売規制が出ている中、理解・協力をもらい、個人としてはある程度の量を確保したと思った。
その夜、食事中、嫁さんに注意された。
「今日のお父さんはおかしい。張り切りすぎ。もっと落ち着いて。」
食後、その日集めた荷物を整理、積み直して、いわき行きをツイッターしていたら、嫁さんからメール。
「ツイッターしてないで、早く帰ってきて寝なさい。」
帰宅し、12時就寝。
いわきへ
これから いわき市の親友のところまで行ってきます(^-^)/
彼とは大学が同じ学部、同じ研究室、そして就職先(修業先)も一緒でした。
そんな彼が、奥さん子供、親を疎開させ、従業員の為にひとり いわきで頑張っています。
燃料、食料不足がひどいということなので、少しだけ物資を持って応援に行ってきます。
また後ほど報告しますねo(^▽^)o


