いわきへ行って来ました
昨日、福島県いわき市へ行って来ました。
その報告ですが…いろいろな思いがあり長文になってしまいました。
とっても下手な文章ですが…
11日の大地震以降音信不通だった大学同級生Y倉から15日やっと連絡があった。
彼は福島県いわき市の造園会社専務。(いずれは社長)
大学時代、私と同じ学部、同じ学科、同じ研究室…
彼のアパートにお酒・つまみ持参で行き、よく2人で飲んだ。
そしてなんと、修業先として選んだ就職先(東京原宿の造園会社)も一緒。
3年間、いわば同じ釜の飯を食った仲。
いわき市は、地震・津波の被害が大きかったが、それ以上に今は原発事故の影響に晒されている。
彼の住んでいる地域は、今のところ避難・退避指示は出ていないが、今後の安全を考えて、奥さん子供、親は疎開させた。
中でも、奥さん子供は、同じ同級生の千葉在住S吉に頼ったと。
なぜ最初私に連絡くれないかと少し腹立たしかったが、彼もいろいろ考えた末だと言う。
そして、彼はまだ地元に社員がたくさん残っているから、自分もいわきにいるんだと言っていた。
家族も社員も択一できない。
ならば、危険が迫っているかもしれない社員から離れることが出来ない。
同じ経営者として気持ちがわかった。
16日夜、千葉で彼の奥さん子供を世話しているS吉から電話が入った。
Y倉をどうにか応援出来ないかと。
いわきには風評で燃料や食糧がほとんど届かないらしい。
それから仕事をしていても心配で気持ちが落ち着かなくなってしまった。
何か自分に出来ないか。
18日、市場で競りをしていても普段通りの自分ではない。
こうなったら、自己満足でもいいから、Y倉に燃料・食糧を持っていってあげよう。
電話で社員に指示、燃料を集め始めた。
Y倉に明後日行くからと電話。
彼は、明日あたりから物が入ってくるらしいから大丈夫だと言う。
わかるのは明日のお昼頃だからまた電話するよと。
自分の中では、いわきに行くことを決めていたので準備に取りかかった。
当初、自分の車で行こうと思ったが、乗用車では持っていける量に限界がある。
そこで会社のワゴン車を借りて行こうとしたが、普段は花の運搬車として使い、週末はお彼岸、花屋の稼ぎ時。
無理を承知で、責任者で且つ同じ大学後輩でもある私の嫁さん、そして社員に尋ねたところ、快く承諾をもらった。
特に嫁さんは、そういう理由で動き出した私を止められないのはわかっていたんだと思う。
19日、早速朝から燃料を調達しながら、地元のスーパー、ホームセンター事情を視察。
昼過ぎ、Y倉から入荷見込みが未定という電話がはいる。
希望のものを聞き、食糧の調達開始。
上越でもいろいろなものに販売規制が出ている中、理解・協力をもらい、個人としてはある程度の量を確保したと思った。
その夜、食事中、嫁さんに注意された。
「今日のお父さんはおかしい。張り切りすぎ。もっと落ち着いて。」
食後、その日集めた荷物を整理、積み直して、いわき行きをツイッターしていたら、嫁さんからメール。
「ツイッターしてないで、早く帰ってきて寝なさい。」
帰宅し、12時就寝。