父、母、そして多くの先達のおかげで
「戦争を知らない子供たち」として生活をしてきた私たち。

感謝しかありません。
多くの方の努力によって、今があると感じます。

けれど、自分の子供たちに対して
一人の母親としては「ごめんね」と言わざるを得ません。

「原発を知らない子供たち」として存在させてあげたかった。
そうしてあげられなかったこと。
心の中で、無知を恥じ、無力を詫びています。

広い意味でいえば
大人たちみなが、いまこの状況をつくったと言えるのかもしれません。

だからこそ、忘れないでいること。
今もなお苦しむ人たちに対して、何ができるか。

考え続けていきたいです。

次の記事は、真宗大谷派(東本願寺)が発行している新聞です。

(東本願寺さん、ご都合が悪ければ削除しますので、その場合はご指摘くださいね)

$知らずに使っている「仏教の言葉」~心の縁側

$知らずに使っている「仏教の言葉」~心の縁側

$知らずに使っている「仏教の言葉」~心の縁側

$知らずに使っている「仏教の言葉」~心の縁側

人それぞれいろいろな考え方があります。
文中、「加害者」という言葉に、考えさせられる方も多いだろうと思います。

もし私が被災地に実際に暮らしているなら、やはり「被害者」という思いが強くなります。
牛のことだって「汚染牛」ではなく「被害牛」だと思います。

それでもなお、やはりこの記事には共感できる部分があります。

そして、だからこそ、10年後20年後の未来を「今よりいい未来」にすることを
考え続けていきたいと思うのです。



かつて「戦争を知らない子供たち」という曲が一世風靡しました。


戦争を知らない子供たち。

私もそのひとりです。
昭和ヒトケタ世代の父が10代後半の時に、戦争が終わりました。
戦争が終わる少し前、親しかった日本兵が長男である父に
2個の手榴弾を持たせました。

以前、朝日新聞の声欄「戦争を語り継ぐ」という特集で
掲載された父の投稿記事です。

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私に手渡した2個の手榴弾

1945(昭和20)年6月頃、鹿児島県大隅半島には、米軍の志布
志湾上陸に備えて、日南海岸から私の住む内陸部一帯まで、陸軍
の部隊が配置されていた。

いつころからか、1人の下士官が夜な夜なわが家を訪れるよう
になった。父母のもとに男女5人の子供がいるにぎやかな雰囲
気に、自分の故郷を重ね合わせていたのだろう。

サツマイモか卵ぐらいしかもてなしできない家に、菓子や缶詰
持参の来訪であった。彼は軍歌もうまかったが、都々逸(ドド
イツ)は素人離れしていた。

8月15日の夜、わが家を訪れた彼は、心持ち緊張した面持ち
で18歳の私に手榴弾(しゅりゅうだん)2個を手渡した。

「1個は米兵に、1個は家族自死用に」と指示して、故郷へ引き
揚げていった。「住民を置き去りにして」と一瞬思ったが、何
の感慨もなかった。

戦後、初めて見る米兵は怖かったものの、笑顔でジープを運転
する姿に思わず見とれてしまった。同時にしみじみ敗戦に納得
した。戦場だった沖縄と、戦後だった当地の違いが、手榴弾の
使用と不使用とに分かれた。            僧侶 



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手榴弾を使わずに、生きていてくれたから、
母は父と出会い、私を産んでくれました。
私もまた夫と出会い、自分の子供たちとめぐり合えました。

戦争を知らない子供たちとして
存在させてくれた父に、母に、
そして全ての人生の先輩に、深く感謝を捧げます。

願わくば、日本の子供達もずっとそのようであってほしいし
世界中で戦争を知らない子供達が増えますように。
福島原発で10シーベルト以上の放射線量 過去最大:日本経済新聞
http://s.nikkei.com/oOrhO3

「同日午後2時半に作業員ががれき撤去作業後に発見し、棒の先に計測機を取り付けて測った。10シーベルトは計測機で測れる上限で、これ以上を測れる計測機は同原発に無いため正確な数値はわからないという。東電は配管の周囲を立ち入り禁止としたうえで、今後鉄板などで遮蔽するとしている。」


10シーベルトは、1万ミリシーベルト。一度に浴びると死に至る放射線量。
こちらにはさらに詳細な記事。→ http://www.asahi.com/national/update/0801/TKY201108010451.html
 千葉県は県内で収穫したコメに含まれる放射性物質の検査を始めますね。検査の対象はコメを生産しているすべての市町村で、週内に早場米の収穫が始まる南房総地域で収穫したコメをまず調べるそうです。

(以下引用) 千葉県内では県北部を中心に18自治体で、放射線量が局所的に高い「ホットスポット」と呼ばれる地域が見つかっている。こうした地域で栽培しているコメは今週から、収穫に先行して予備検査をする。

 栃木県もコメの検査を実施することを決めた。具体的な検査方法や検査時期などを詰めている。




さらに

「コメの放射線検査について、農水省が週内に基準」 という日経の記事。

(以下引用)
コメの放射線検査へ 農水省が週内に基準
自治体と調整
2011/8/1 13:30

 農林水産省は1日、福島第1原子力発電所の事故を受け、収穫後のコメの安全性を確認する放射性物質の検査方法を東北・関東の関係自治体に指示する方針を固めた。厚生労働省や自治体などとの最終調整を経て、週内にも通知する予定だ。

 農水省が検査対象として検討するのは、放射性セシウムが土1キログラム当たり1000~3000ベクレルを超えた土壌で収穫したコメ。コメから検出した値が食品衛生法の暫定規制値の500ベクレルを超えれば、政府が出荷制限を発動する方針。検査は各自治体が実施する。

 政府は4月、土壌中の放射性セシウムが土1キログラム当たり5000ベクレルを超える水田を作付け制限の対象とすると発表した。今回の通知では、作付けを認めた地域で収穫したコメの検査基準を明確にする。

 千葉県は県内で収穫したコメに含まれる放射性物質の検査を始める。検査の対象はコメを生産しているすべての市町村で、週内に早場米の収穫が始まる南房総地域で収穫したコメをまず調べる。野菜などから放射性セシウムが検出されていることを受けて、コメも安全性を確認する必要があると判断した。

 水田200ヘクタールあたり3キログラム程度のコメを抜き出して、放射性物質を調べる。コメの収穫が始まる県南部から順に実施していく計画だ。県内では県北部を中心に18自治体で、放射線量が局所的に高い「ホットスポット」と呼ばれる地域が見つかっている。こうした地域で栽培しているコメは今週から、収穫に先行して予備検査をする。自治体や農協に、検査で暫定規制値を下回っていることを確認した後に出荷するよう求めている。

 栃木県もコメの検査を実施することを決めた。具体的な検査方法や検査時期などを詰めている。



消費者としては、毎日口にするものなので、やはり気になります。

しかし、農家の方のご苦労を思えば、つらいですね。

農家の方は、長年いい米をつくる努力をしてきただけ。
何の罪もないし、原発事故の被害者と言えます。
どうか十分な補償をしてほしい。
先日、『情熱大陸』に武田邦彦教授が出演。

放送内容を番組HPから転載します。
(引用)
「放射能から子供を守るために・・」ブログアクセス1日50万件!生活者目線で情報発信を続ける工学者が胸に秘めた想いとはー

 3月12日 福島第一原発1号機が水素爆発。この日アップされたあるブログが後に注目を集めることになった。「まず風上に逃げることです。被ばくは風によって変わります。・・・・
政府の言うことはあてになりません」政府が発表する情報の真偽が取り沙汰される中、工学者でありながら「東京を逃げ出すべきか?」「赤ちゃんをお風呂に入れて良いか?」など生活者目線の情報を発信し続け、アクセス数は1日に50万件。全国から講演依頼が殺到し、テレビやラジオ出演なども相まって一気に「時の人」となった。
 彼がブログを書き続けるには訳がある。かつて原子力委員会の一員として原発推進にかかわって来たが、ある事柄をきっかけに反原発派に転身した。
「政府が何かやってくれる間に子供はやられちゃうんだよ・・」時に番組取材スタッフとも大激論を交わしながら「日本の現状」を解き明かしていく。武田が考える未来にあるのは希望か?それともー?
(引用終)

震災以来、武田邦彦教授のHPは、ひとりの母親としてとても参考になります。

どう乗り切るか、毎日、迷っているお母さんに(追加版)

日々、スーパーで買い物をするにも、これはどうか、あれはどうかと
悩みながら暮らす私たち。

声高に心配なことばかりを口にできないなかで
武田教授のサイトは「これくらいは大丈夫」という明解な指針を示しています。

しかもそれは、政府の安全デマとは全く意味の異なる
「消費者優先、子供優先」の指針
だと、私はとらえています。

このHPにアクセスする人は
決してヒステリックになりたいわけではないでしょう。

未来に対する「希望」を持ちたいのです。

子供達の生きる未来が明るいと、信じたいのです。

武田教授は番組の中で
「未来は今よりずっといいですよ」と断言。

うん、そうだよね。
私もそう思いたいし、思います。

いろんなことがあり過ぎたこれまでは、決して未だ収束などせず
相変わらず後手後手に回るのだけれど

少なくとも、日々を改善しようと言う前向きさを私たちが持てるなら
きっといい未来が開かれるはず。

よい1週間になりますよう。