「えさ汚染牛」という見出しには、「なぜ」と言いたい。

「えさ汚染牛、計648頭に 山形・新潟でも見つかる」 http://t.asahi.com/3933

(以下朝日新聞より引用)
 基準値を超える放射性セシウムに汚染された稲わらが牛のえさに使われていた問題で18日、福島、山形、新潟の各県は、農家から汚染わらが見つかり、計12戸から牛計505頭が出荷されたとそれぞれ発表した。これまでに判明した出荷総数は計648頭となった。

 福島県以外からの出荷が判明したのは初めて。同県を含む11都県で緊急点検をしてきた農林水産省は、点検対象外の新潟、山形両県で汚染わらが見つかったことから、対象を東日本全域に広げることを決めた。厚生労働省も、該当する牛肉を確保したら検査するよう依頼する通知を、初めて全都道府県に出した。

 福島県によると、新たに汚染わらの使用が分かった農家は郡山市の2戸、二本松市、本宮市、須賀川市、白河市と会津坂下町の各1戸。7戸から計411頭が東京都や兵庫県など6都県に出荷されていた。



「汚染わら」は確かにその通りなのかもしれませんが、わらが汚染されていたのなら、水や牛そのものが汚染されていた可能性もありますよね。

わらを出荷した農家さんたちも被害者なのに、加害者のような書き方になってはいないでしょうか。


「えさ汚染牛」というよりも「原発事件被害牛」というのが適切。

これ以上の被害を広げないために、根本的な原因がどこにあるのかと考えれば、それはやはり「原発事件」(「事故」と言うから「想定外」という「逃げ」が生まれるのです。あえて、事件と書きます)にあるでしょう。
ふるさと納税は、昨年1年間の岩手、宮城、福島の被災3県の受付額の6.4倍。大半が【被災地のために】という趣旨なのでしょう。

せっかくの気持ち、なんとか少しでも早く分配されますように。

(以下日経新聞7/19引用)
居住地以外の自治体に寄付をする「ふるさと納税」は、新しい支援として急速に広がった。岩手、宮城、福島の被災3県の受付額は3月11日の被災当日から6月30日までの4カ月足らずで、2010年度1年間の6.4倍となる3億8800万円に膨らんだ。

 福島県には全国47都道府県から申し込みがある。震災前は大阪からの受付額が1位だったが、震災後は東京、神奈川、埼玉、千葉が上位を独占。「他の地域よりも原発に近く、事故を身近に感じているのかもしれない」(税務担当者)。岩手は震災孤児支援の基金を創設し大幅に伸びた。

・・・略・・・

義援金では課題が浮き彫りになった。日本赤十字社や中央共同募金会などが集めた約2947億円(6日現在)のうち、被災者に届いたのは約2割の596億円にとどまった。日赤などは被害不明の留保分(約500億円)を除き、被災15都道県にほぼ送金、自治体から被災者への支給が滞っている。さらに市町村には732億円しか届かず、被災者まではほとんど渡っていないのが実情だ。

 届けられる支援物資も、被災者が必要とする物ばかりとは限らず、過去には大量の古着が余る問題も生じた。日本ユニバは宮城県気仙沼市の離島の大島にiPhoneを置き、テレビ会議のような方式で被災者の要望を自治体へ伝えた。

 支援は緊急時から、次の段階に移り、被災地の自律的な復旧や復興を促す新たな支援が求められている。


原発事件被害牛。
あえて、こう呼びたいと思います。

「汚染」は「原発事件」がなければ当然なかったものですし、農家や、まして牛にとっては「被害」以外の何ものでもありません。

自分たちも被害者なのに、流通させてしまったことで、加害者のような気持ちになるという声がありました。心痛、いかばかりでしょう。これも「安全デマ」のもたらした結果だと思います。

「安全などない。極力被害を少なくすることを考える」というのが、今は大切ではないでしょうか。

産地表示はあてになりません。
ごまかしということではなく、牛が生育する過程で転売されること、飼育期間が長い場所が表示されるという通例によるから、と考えられます。

(以下引用)
「岩手産」で流通も

農林水産省によると、牛は出荷されるまでに複数の場所で育てられることが多く、飼育期間が最も長い場所を産地として表示するのが基本とさrせるためだが、小売店や消費者には分かりにくい仕組みとなっている。「仕入れた時に『岩手県産』と表示されていた。福島県経由とは認識していなかった」
・・・略・・・

農水省などによると、牛は通常、生まれてからある時期まで「繁殖農家」で育てられ、その後食肉の品質を向上させるため、「肥育農家」で飼育される。出荷まで数回転売されるのが一般的だ。
川町の農家が出荷した汚染の疑いのある42頭の個体識別番号を調べると、うち約半数は最も長く飼育されていた場所が青森県や岩手県、宮城県で、これらを産地として流通.販売されていた可能性がある。



放射線被害が深刻な福島県で、県立安達高校の自然科学部11人が、校庭の空間放射線量を観測し続けているそうです。
土壌汚染の除染も研究しているそうです。
「福島の役に立ちたい」という彼らの声を、ぜひ国は聞き届けてほしい。
まちがっても、「保護者がやりたければやればいい」というどこかの自治体に任せるようではいけません。

以下、京都新聞7月18日より。

(以下引用)
福島第1原発事故の放射線被害が深刻な福島県で、県立安達高校(二本松市)の自然科学部11人が、校庭の空間放射線量を観測し続けている。土中から放射性物質を取り除く研究にも挑戦しており、生徒らは「福島の役に立ちたい」と懸命だ。

測定を始めたのは、放射線量の情報が少なく不安を感じた部員らが、「自分たちで調べよう」と声を上げたのがきっかけ。

精度に定評のあるドイツ製の放射線測定器を部費で購入、4月下旬からほぼ毎日、校庭など屋外5カ所で地上1センチと1メートルの線量を計測し、結果は職員会議に報告する。

・・・略・・・部員らは土に含まれる放射性セシウムを別の物質に吸着させる除染方法も研究。新聞社が主催する科学コンクールへの応募を目指している。

専門家が気づかないことに気づくかもしれない。少しでも福島の役に立ちたい」と真剣な面持ち。



校庭の放射線量は4月より減少したものの、7月上旬で依然として、1.0~1.5マイクロシーベルトあるそうです。

顧問の先生(40代)の言葉。「データを分析し、生徒自らが危険の度合いを判断できるよう指導したい」。

日常語では「けんかい」、仏教語では「けんげ」と読みます。

日常語では文字通り「物事を見て、解釈した意見、考え方」を示します。
震災以降、さまざまな専門家が見解を示しています。
それを見ながら、視聴者や読者である私たちはさまざまな判断を下すわけですね。判断材料としての見解は、大切です。

しかし、仏教でいう「見解(けんげ)」は、特定の見解という意味であり、良い意味に用いられることはあまりありません。
「偏見」「我見」「私見」というときの「見」は、ある条件での一側面から判断したものととらえられるからです。私たちがいるこの世界での事象は、さまざまな原因や条件、つまり縁起によって成り立っていることから、結果もまた変化するはずのもの。
しかし、「見解」というものは聞く人に永遠の真理であるかのような誤解を生みやすいのです。

しきりに「私の見解は」とそれだけが真実であるような呼びかけを耳にしたとき、一度自分自身のなかに落とし込めるものかどうか、その判断を大切にしたいですね。

他人の見解を鵜呑みにせず、網羅的に判断すること。
自分の見解も軽く述べず、熟慮し、影響を考えてから提示すること。
そのように受け止めたいと、自分にも言い聞かせているところです。