https://youtu.be/5tIVh3LJWVo


こちらの動画にも通ずることです…



今は多少マシになったかと思いますが

関西にいたときは手がつけられないほど

捻れておりました。


チャンスのお話ですが…


とあるライブハウスでいたときに

ある若いバンドマンがライブ終わりに

挨拶にきました。


その子のバンドにさして興味が

なかった上に知らない子だったので

私はほぼほぼ無視をしました。


(当時は本当にヤバい人なので

ご気分を害したらすいません、

調子に乗っていました。)


ですが会うたびにその子は必ず

挨拶をしてきました、

こちらに覚えてもらうために

必死だったのです。


どうしても私にバンドの

演出をお願いしたかったようです。


どんなに塩対応しても

その子はしつこく諦めませんでした。


何十回目かの時、次第に自分も慣れてきて

気がついたら自分から声をかけていました。


その子の好意と気持ちを受け入れました。


それからというもの私の節目には

必ず彼らがおりました


大阪から出るとき、

最後まで見送ってくれたのも

彼らでした。


そして先日、その子達のバンドの

解散ライブを見に大阪へ行きました。


12年間頑張り、ワンマンライブの

チケットは即完するほどになっていました。


7〜800人はいたでしょうか、

素晴らしいライブでした。


気がついたらかけがえのない仲間に

なっていました。


お互いに、"あの時諦めずに声かけて良かった"

と話したりしました。


この子のバンドの為なら何でも

やってあげたいと思えたぐらいです。


あの頃疑心暗鬼で四面楚歌の

私が心許せた数少ない仲間です。


あの時受け入れなかったらと考えると

今体験することは無かったのでゾッとします…



そして、そのあとは打ち上げがあり

会場には昔疑心暗鬼だったころの

職場の人間が沢山おりました。


鬼とか、悪魔とか呼ばれていたので

自分が来ても、恐らく嫌な顔を

されるかもしれないと思いました。


ところが、4〜5年ぶりに会う人達は

誰一人嫌な顔せずむしろ驚きと喜びの

表情で話しかけてくれました。


あまつさえ、私がいじめていた子すら

驚いていましたが笑顔で接してきました


それにどちらかというと私がビックリ

したのですがみんな一緒に写真を

撮ってくれたりしました。


気を遣われたのかもしれないし、

もはやそんなことはとうの昔に忘れた

のだろうとは思いますが

それでもその様な対応をされるとは

思いませんでした。


自分と接しているときの相手の

表情が嬉しかったです。


数年前、私はみんなに嫌われていて

陰では悪口をいわれているだろう


どうせ私のことなど誰も理解できないのだからと

本当は仲良くしたいのに憎まれ口ばかり

叩いて、疑心暗鬼の自分の世界で生まれた

負の感情を撒き散らしていました。



今回の周りの反応を見て、

恐らく加藤さんの場だから変わったの

だろう…という感謝の思いと


全員に嫌な顔されるだろうと思っていた

ため予想外の反応ばかり返ってきて


自分の過去の世界が

"錯覚"であったことに気がつきました。


恐らく、そこまで嫌われていなかったし

悪口もそんなに実は言われてなくて


全て自分の疑心暗鬼が作り出した

"自分の世界だけの話だったのか"と

驚愕でした。



確かに悪口は言われていたと思うけど

当時の自分だったら当然のことだし


あと、自分と他人の"悪意"にはかなりの

差がありまして


自分の悪意は深層3キロの海ですが


他人は1mとか30cmぐらいのプール

なんです。


なので自分の思い描く悪口より

実際の悪口はものすごくライトである


だからそれを勝手に深層3キロにして

勝手に傷ついていたのは

自分自身であったということです


負の感情を出力しまくっていたので

強化されドツボにハマっていました。


周りは全然そんなことなかったのに


当時の自分の抽象度の低さと、

捻れ方の酷さに唖然としました。


また、色んな人と

コミュニケーションをとる上で

自分の心に何らかのシコリがある

ことも感じました。


なので時々言葉に詰まったり、

リアクションに困ったりするのですが


よくよく考えてみると

"あぁ、これは恐怖心だな"

とも思えました。



照れ臭さもあるのですが、

恐怖心から他人と素直に会話できない

自分の中のシコリを発見しました。


これを制限というのでしょうか?





みんなに軽く挨拶をして、

その場を後にしたのですが


去り際に固く抱きしめてくれた

子や、帰らせたくない人や(笑)


わずかながらその心地よさや

じんわり感じる暖かさに、


"これが加藤さんのいう、

繋がりというものなのだろうか"


と思いました。






これらを通して、


"目の前のことをどう捉えるかは、

全て自分次第である"


ネガティブに捉えるのも

ポジティブに捉えるのも

そのままを受け入れるのも


全て自分で決めているのだなと


加藤さんとのコーチング中のお話を

思い出しながら理解しました。



何にせよ、行動しやってみなければ

何にも理解することは出来ない




そう学んだ一日でもありました。



また翌日は友達の子どもを

見に行ったのですが


「もうこっち帰ってこない?」

「定住するの?」


と確認されました。


それがとても嬉しくて、

若干寂しかったのですが


そう思ってくれる人が

周りにいたことも気がついて

いなかった自分。


逃げる様に上京した自分。


当時も今も、今までも


どれだけの好意を拒否してきたのか


そして受け取ろうとしてこなかったのか


他人の思いを蔑ろにしてきたことに

気がつき、


自分のダメさが嫌になりました。




自分のことしか考えないから、

他人の気持ちに気がつけないのだ


自分のことしか考えないから、

いっぱいいっぱいになるのだ


ずっとそうして生きてきたのかと

なんてもったいない生き方なのだと

思いました。




なので、これからはとにかく


自分が現れて緊張させるのではなく、

自分が現れたらパッと空気が明るくなる


その場の雰囲気が軽くなる


その様な在り方を目指さし、

相手の気持ちを蔑ろにしないように

ちゃんと意識を向けてやっていきます



相手の好意を取りこぼさないように、

自分の感じる悪意は錯覚、


そしてこの人たちにしてあげられ

なかったことをこれから周りに

やっていければと思います。



加藤さんの場で学んでいなかったら、

この様な思考も生まれることは

ありませんでした。




長くなりましたが、

ありがとうございました。




エスでした


追記:前回のブログの出力後に、ずっと鳴っててどうしようもなかったエアコンの異音が消えました…ポコッポコッと24時間鳴ってたのですが助かりました…ありがとうございました😭