スイマー(2) | 葡萄ヶ蔓社

葡萄ヶ蔓社

GRAPEVINEの楽曲と詞が織りなす世界観に着想を得た小説を載せています。
あくまでも、小説という形を取った個人の感想ですが、お付き合い頂ければ幸いです。

 僕が洋平と出会った頃、潤子先生が家にやって来た。その頃、僕は国語の成績が落ち始めていた。他の科目は問題なかったのだが、何故か国語が出来なかった。十四歳になった今でも国語が苦手なのには変わりないのでわかるのだが、国語というのは生来の感性が要求される科目で、僕のように勉強しても得点につながらない奴がいる一方、勉強しなくても高得点を取り続ける奴もいる特異な分野なのだと思う。

当時父さんの研究室に所属する大学院生だった潤子先生がどういう経緯で僕の家庭教師を引き受けたのかは謎だったのだが、週に一度僕に国語を教えに家の来るようになった。

 初めて潤子先生に会った時、僕は目の前の女性に胸が高鳴るのを感じた。潤子先生は色白でふっくらとした頬が薔薇色に染まっていて、人懐こい大きな目が印象的だった。だが、それ以上に僕の目を引いたのは彼女の美しい曲線的な体型だった。僕の周りにいる婆ちゃんやクラスの女子の直線的な体型とは明らかに違っていて、胸やお尻はふくよかなのに、手足はほっそりとしていた。そして、近づくとほのかに香る甘い香りが心地良かった。潤子先生は母が僕を生んだ歳と同じ二十五歳だった。

 潤子先生の国語の授業はとてもシステマティックで、感情を表す慣用表現を喜怒哀楽に分類して、覚えることから始まった。例えば、「眉を顰める」は「不快や疑念を表す」と言った具合だ。この方法が功を奏したのか、間もなくして僕の国語の成績は平均的なものになった。僕はこの結果に満足しつつも、この国語という教科と現実社会の差異を実感し始めた。実際の人間の感情も国語の問題を解くように解明できないものか?僕は潤子先生から教わった国語力を実践で役立てられないものか考えるようになっていた。でも、現実の世界ではナレーションは聞こえない。誰がどんな表情をして、どんな行動をしたか確認するには一定の注意力が必要だし、それに伴う感情も千差万別で、正解を導くのは至難の業だった。

 小学校五年生のバレンタインデーのことだった。僕は帰宅途中にクラスの女子四、五人に突然囲まれた。そのうちの一人が周りの女子に促されながら僕の前に立つと、リボンのついた箱を差し出した。自分の気持ちだから受け取ってくれと言われたのだが、そんな気持ちは受け取れないと思ったから、そう伝えた。これは不正解だったようだ。その女の子はその場で泣き出し、他の女子はその子をなだめながら、僕を睨みつけた。僕は居た堪れなくなって、走ってその場を離れた。

 次の日学校に行くと、僕はクラスの女子から総すかんを食らった。冷たい視線を向けられたり、背後で内緒話をされたり本当に嫌な気分だった。そんな状態が数か月続いた。

 僕はこの出来事を潤子先生に話して、国語は実際には役に立たないと文句を言った。潤子先生はくすくす笑いながら、女の子の気持ちはひっかけ問題だと言った。それから、僕は学校での出来事を潤子先生に話すようになった。

 僕が学校の話をすると、潤子先生は社会学の話を時々した。社会学的には学校が社会集団なら、教師や生徒はその構成員で、同一の目的のために集められている組織なのだそうだ。その割に、生徒はそれぞれ別の方向を向いている気がすると僕が尋ねると、潤子先生はもっと詳しく知りたければ、父さんに聞けば良いと言った。でも、僕は父さんとは潤子先生のように話せなかった。その代わりに、父さんの書斎の本を適当に読んでみるようになった。

 思えば、僕が対話らしい対話をしたの人は潤子先生が初めてだった。潤子先生は家庭教師に来た日には必ず夕飯を一緒に食べて、時には婆ちゃんに代わって夕飯を作ってくれたりもした。気づけば、父さん以上に僕にとって家族のようで、それを僕は嫌じゃなかった。

そんな潤子先生との関係は小学校を卒業するまで続いたが、小学校を卒業するとともに僕たちは疎遠になった。