アラフィフのまりもです*(^-^)*
サラリーマン家庭に育ち、自営業の人とは結婚しないでおこうと思っていた私が会社経営者と結婚し、想定外にダウン症児の母となった、
まりもの プロフィール をぜひお読みください
初めから知っていた
あれは妊娠したばかりの、とある夜。
夫と二人でテレビを観ていました。
SMAPの中居くんが司会をしていた「金スマ」という番組で、ダウン症書道家の「金澤翔子さん」の特集をやっていました。
ただテレビをつけて夕飯を食べていただけなんです。
金澤翔子さんは、現在38歳。
一人暮らしをしています。
私が番組で初めて知った頃は、まだ20代だったと思います。
地元の小学校に通いながら、高学年になって学校に通わせてもらえなくなり、お母様の指導の元に家で泣きながら般若心経を書き続けたお話しが、翔子さんの原点のように思います。
翔子さんは、とても純粋で、亡きお父様、自分を書の道に導いてくれたお母様を心の底から愛していて、揮毫の際に「お父様の為に書きます」と涙ながらに話していました。
その姿を見て、私は涙が止まらず、翔子さんのまっすぐな愛に心が震えました。
そして、一緒に観ていた夫は一言。
「こんな風に思ってくれる子供は、親からしたらたまらなく可愛いだろうな。」
その時です。
私は、はっきりと、、、
「あ、この人ならダウン症の子供を産んでも大丈夫」
って思ったんです。
あまりにはっきりそう思ったのと、私は夫の言葉に安堵すらしたので、とても驚きました。
そもそも、お腹の子がダウン症なんて言われてないし、、、。
だけど今、あの夜のことを思い出すと、まるで私は初めからダウン症の子供を産むことを知っていて、私が産む子供を受け入れてくれるお父さんを探していたのだろうか?とさえ思います。
思い返せば、結婚もしていない、結婚しようと思っている人も居ない20代の頃から、ダウン症の子供が産まれる確率を調べたこともありました。
もちろん、ダウン症の子供は、ほぼ遺伝性はないし、私の親族にダウン症の子供が産まれたこともありません。
それなのに、なぜ?
思い返すほどに、ダウン症の我が子を迎える準備をしていたかのように感じる、、、。
この世は、偶然のように見えて必然だったと、あなたの経験で感じたことはありませんか?
例えばほんの少しのこと、
あなたが新しく知り合った人と、あなたと元々親しい仲だった人が実は友達だったなんてこと、ありません?
環境が近しいから、そんなことあるよね~
って思うかもしれませんが、
これ、必然です。
私にも実はそんな体験あります。
私には小学校1年生の時に同級生になった幼馴染みが居まして。
部活も一緒(ソフトボール部)、お互いの兄弟もそれぞれ関わりがある、密接な関係の幼馴染みに勧められて私は美大に進学しました。
その後、幼馴染みはスイス人と結婚し、今もスイスに住んでいますが、30代の転からちょっと連絡が滞ったんですね。
お互い何をしているかも知らない空白の時間。
5年前、突如、地元の友達から連絡がありました。
幼馴染みが地元に一時帰国しているようで、赤ちゃん抱っこして公園にいたところ会ったんだよー!と。
お兄ちゃん(スイス人とのハーフでうちの子の一個年上)が日本と交流持てるように私達の卒業した小学校で一時体験学習しているとのことでした。
抱っこしていた赤ちゃんはダウン症の女の子です。
そのことを聞いた時に、私は雷に打たれたような衝撃を受けました。
何も起きていない、何も知らない時に、とても親しくなった幼馴染みと私はその後、同じダウン症の子供を授かる人生を歩んでいたのです。
国も日本とスイスで、違う生活しているのに。
これは偶然とは言い難く、
小学1年の頃に出逢ったことは、必然だったのだと思います。
長い時間の物語が交差して気づく奇跡。
こんなことってあるんだな、、、。
ここからは、ちょっと妄想ストーリーです笑
私は幼馴染みとの関わりで、いつも感じていたことがあります。
それぞれが列車なんです。
操縦する運転手は私と幼馴染み。
路線はまったく別々で、出発駅だけは一緒。
ひとまず「またね~!」と声をかけあい、まったく別の路線を走る。
時に、交差する駅があって、「おぉ!どんな旅してきた~?」と会話しながら、それぞれにまた路線の旅は続く。
それもこれも、実は自分で決めて来た、空の上で決めて来た「今世」なのかなと思います。
絶妙に接点を作ったり、接点を失ってみたり。
結局は自分が決めてきた人生を生きる、
創造しているのは私自身。
私はあの夜、我が子がダウン症で産まれることを思い出したところから、「全てを決めて来た」と思うようになったのです。
子供の胎内記憶
全てを決めて私自身がこの世に生を受けたように、どうも我が子も同じように決めて来ているようなんです。
言葉こそ幼くて、しっかりした考えとしては聞けてませんが、実録!
うちの子の胎内記憶をお届けします。
池上明先生という方がいらっしゃいます。
「胎内記憶」に注目して、たくさんの子供達から「胎内記憶」のヒアリングをされていて、著書にしたためている先生です。
そもそも「胎内記憶」って聞いたことありますか?
実は、子供によっては、母親の胎内に居た頃の記憶があるというものなんです。
私は覚えてませんが笑
その「胎内記憶」は、2~3歳くらいまで覚えている子供が居るそうです。
私が池上明先生の本を読むきっかけになったのは、初めての子供を流産した時です。
やるせない気持ちと悲しさから、藁をも掴む思いで、本を読みました。
と言うのも、人は産まれおちる時に意志を持ってやって来るそうなんです。
だとしたら、流産や死産で、お空に帰ってしまう子供はどんなことを思ってなのか?が知りたい、その一心でした。
私が救われた子供達の記憶は、
「忘れ物をした!」
というものでした。
忘れ物をしたから取りに帰ったんだよね~、というなんとも信じがたいですが、子供の感じたことのようです。
その言葉に救われながら、我が子を無事出産したのですが、ハンデキャップとの戦いでしばらく「胎内記憶」のことは忘れていました。
とある夜、うちの子供は6歳。
中身は2~3歳くらいの頃。
私は思いつきで、聞いてみました。
私「○○は、どこから来たの?」
子「そらー!」
私「どうやって来たの?」
子「ジェスチャーまじえて、ヒュン」
飛んで来たようです
私「そらでは誰と居たの~?」
子「○○と!←幼稚園前から支援学校も一緒の親友」
私「ママなにしてた?」
子「お化粧してた」
私「パパなにしてた?」
子「ラーメンたべてた」
かなりリアリティーあり笑
私「なんでパパとママのとこ来たの?」
子「せんせいがここに」
と言って、子供は胸に手を当てました。
私は、その時なぜか、せんせいは神様で、神様から心のままに行きなさいと言われたんだなと思いました。
不思議なことを受け入れられるあなたに、この会話を読みといていただけたら幸いです*^-^*
そして我が子は更に不思議なことを運んでくるのです。
次回は、我が子から始まる大富豪との出逢い、
をお届けします🌟
ぜひお楽しみにしてくださいね~
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