初めまして、関東地方に住む

アラフィフの「まりも」と申します


記憶に新しいコロナ禍が始まった

2020年春のある日


会社経営者の夫は、その日に限って

毎日チェックしているFXの動向を見ずに

寝てしまったのです



得体の知れないコロナを

甘く見くびってしまったミスから

朝目覚めると、一夜にして9,000万円を

失う痛手を負いました


でも、それは夫の私利私欲ではなくて

私たち夫婦のもとに生まれて来たダウン症の我が子のために将来グループホームを建てたいと

投資を実践していたからでした


このブログは

例え夫が会社経営者で

もし仮に年商で億単位の稼ぎがあったとしても


それでも妻として、女性として

自分で稼いで

行動することを大切にしようと

結婚前から紆余曲折して

ようやくつかみとった私自身の経験や


ダウン症で生まれてきた

我が子の将来のためにも

「稼ぐ力」を身につけようと奮闘している

まりもの実録をお届けします!


また、私と同じように

子どもさんがハンデを持たれていて

子どもさんのために

経済の力を増やそうと思っている

親御さんに向けても


お役に立てる情報を

お届けしようと思いますので

どうぞよろしくお願いします*(^-^)*


  青天の霹靂

2011年8月10日

東日本大震災の混乱のさなか

待望の第一子、息子はこの世に舞い降りました


ところが、息子はダウン症というハンディキャップを持っていることが判明したのです

「青天の霹靂」という言葉は、こういう時に使うのだなと生まれて初めて知りました



妊娠中、胎児の異常を指摘されることもなく

高齢出産だったのに「羊水検査」を勧められることもありませんでした


我が子がお腹に居る頃は毎日散歩に出かけ

木々の間からこぼれる光

公園をかけめぐる子供たち

遊歩道を楽しそうに歩く人の姿を見ながら


この世界はとても美しいよ

早く見せてあげたいな

お腹の子供に語りかけていました



きっと健康で元気な赤ちゃんが産まれてくる!!と疑いもしていなかったのです

大半のお母さんが同じ願いを持ちながら我が子の誕生を待っているのと同じように、、、



忘れもしない出産の日、私は大量出血をして緊急輸血を受けました

2.4L出血し、輸血しても出血が止まることなく

大きな病院に緊急搬送されたのです

子宮全摘の話しも出るくらい緊迫した状況だったようです



目が覚めた朝

私は大きな病院の処置室に居ました

大量出血からの貧血で意識は朦朧

身体も動きません

今思えば、あのまま出血多量で死んでしまう可能性もあったのかもしれません、、、



その後、我が子も呼吸が安定しないということで同じ病院に緊急搬送されてきました


我が子が同じ病院に居る!


本能なんでしょうね

動かなかったはずの身体をひきずり

我が子に会いに行きました


未熟児室に並ぶ透明な箱に入っている我が子の姿を見た時に

「あぁ、元気に生きてる」

そう実感すると

また立つことすら出来なくなり

車椅子に乗せられていました


そこでドクターから隣室に呼ばれ、、、


「お子さんはダウンシンドロームの疑いがあります」

と、率直に言われました


「疑いとはどのくらいの割合なんですか?」


「割合で言うと、ほぼ間違いありません」



ダウンシンドロームってダウン症のことだよね?

頭の中にその言葉が浮かぶと同時に

私はその場で泣き崩れました




外は太陽が痛いほど照りつける、あの夏の日

冷房の効いたその部屋で

私は汗が床にポタポタとしたたり落ちるほど

大泣きしました



これからどうやって生きて行こう



頭の中には、そんな言葉しか浮かびませんでした


  「おめでとう」を言いたかった

ダウン症の告知を受けた私と夫、私の家族の気持ちは様々でした


夫は、後から知りましたが、私より早くダウン症疑いを聞かされ、すぐさま自宅に戻りパソコンでダウン症についてを調べ、、、


私の母も夫と同じタイミングで聞き

今は亡き父と共に

娘にいつその話をどのようにしたらよいのか悩んだそうです


私の弟たちには、私から話をしたのですが

弟たちは電話越しに泣いていました



調べても悩んでも泣いても事実は変わりません



そして私は病室に戻り

食事も出来ず毎日泣いていました

涙って枯れないんですね

暗いトンネルに突然放り込まれたような気持ち

家族3人で、私たちを誰も知らない世界に行きたいとばかり思っていました



あの時のことを思い出し、

こうして書いてみると今でも涙が出ます

でもその涙はあの時とは意味が違っていて、、、



それは



我が子は誰からも

「おめでとう」

と言われなかったんです



その日までの私は、赤ちゃんが産まれたら

その生命の誕生を「おめでとう」という言葉で彩られるものだと思っていましたが

現実は違いました


なぜこの世に一人きりで

頑張って生まれて来た我が子は

誰からも「おめでとう」って言われなかったのか


なぜ母親の私さえも泣いてばかりで

「おめでとう」と

最大の愛で祝福出来なかったのか

我が子に申し訳ない気持ちと後悔の涙です



だからもし、神様が

私の人生すべての中で、たった一度だけ

やり直せるチャンスをくれることがあるのなら、、、


私は一言、あの時の我が子に「おめでとう」

と言いたいのです



  過去が変えられるとしたら!?

過去は変えられない

あなたも耳にしたことはありませんか?


私も、ちょっと前まで「過去は変えられない」

そう信じこんでいましたし

実際に起きた出来事は出来事です


ところが40代半ば頃、気が付いたことがあり、、、


と言うのも、自分が落ち込む時や悩む時って

どこかパターンが似ているかもしれない、ということでした


だとしたら、私の思考や行動の中に、同じパターンを繰り返すヒントがあるかもしれないと思ったんです


そして導かれるようにスピリチュアルの世界に興味を持つようになりました


たどり着いたのは、過去の自分が感じていた様々な気持ちを見つけてあげることでした


薄皮を一枚一枚取り除いて行くように

記憶と感情を呼び起こすことは、時に悲しさや、やるせなさがこみ上げて来て、たくさんの涙を流し、その涙が過去の自分を癒していく


まるで生まれ直しているかのような感覚になりました


そして、変えることが出来ないと信じこんでいた「過去」さえも、彩りあざやかに塗りかえられていったのです


「青天の霹靂」とさえ思い込んでいた我が子のハンディキャップ、、、

私は「ある事」を思い出しました


この「ある事」がきっかけで

そうだ、今起きていることは

自分が全てを決めて生まれて来たことを知ることになったのです



次回、私が思い出したある事

それは我が子の「お空で決めて来たこと」

にも繋がる

ちょっと不思議な体験談をお話ししたいと思います。


ぜひお楽しみにしてくださいね~*^-^*



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