このシリーズも(4)になった。

 

しつこいようだが、復習しておこう!

 

(1)十七条の憲法 ⇒「大和魂」

     (調和を図るという意味)

(2)和歌 ⇒「七五調」「言霊」

       「察することは善」

       「婉曲的表現は美」 

(3)禅 ⇒ 「質実剛健は善」

       「現場主義」

       「帰納法的思考」

 

北条氏による「質実剛健は善」

に関してある読者から、

 

「日本人は気が小さいんじゃよ!」

 

まさに慧眼である。

 

聖徳太子の「大和魂」も

案外そうかもしれない。

 

「うるせえ!俺はこの国で

一番偉いんだから、

何をしてもいいんだ。

反対する奴は成敗するぞ!!」

と言えなかったのだから…。

 

(2020/06/05付ブログ添削)

 

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さて、今日はさらにもう一つ

日本人の心のなりたちに

大きな影響を与えた

モノを紹介したい。

 

それは、朱子学である。

 

(朱子学の創始者 朱熹)

 

中国南宋で発達し、

13世紀には朝鮮李朝に伝わった。

それ以降朝鮮では500年にわたり

この朱子学が基本思想となり、

近代化を阻害する要因となった。

 

本格的に日本に入ってきたのは16世紀。

朝鮮の李退渓(りたいけい)に

林羅山等が師事した頃である。

 

しかし、それ以前に後醍醐天皇と

楠木正成が朱子学の信奉者だったと

いわれているので、朝廷には早くから

伝わっていたと考えてよいだろう。

 

そもそも朱子学は軍事的武力的に

打ち負かされた者(国)が

対面的プライドを保つための

心の防御哲学あるいは拠り所と

言ってもいいのではなかろうか。

 

心のサプリメントと言い換えても

いいかもしれない。

 

南宋は北方の騎馬民族に圧迫され、

中国大陸の南方にこじんまり

存在していた国である。

 

騎馬民族国家との外交は

屈辱的なものであった。

 

しかし、

漢民族としてのプライドもある。

 

そのやきもきした気持ちを

ほぐすのにはとっておきの思想

だったのである。

 

そういう意味で当時鎌倉幕府に

抑えつけられていた朝廷側の

後醍醐天皇が朱子学に興味を

持ったことは不思議ではなく

むしろ自然であったといえよう。

 

一方、江戸初期に幕府が

朱子学を本格的に導入したのは

上記の意味とはまるで異なる。

 

導入を決定したのは

徳川家康である。

 

家康は当時武力天下一であり、

南宋や後醍醐天皇とは

置かれている立場が違う。

 

つまり、武力的劣等感は

微塵もないのである。

 

にもかかわらず、

家康が江戸幕府の思想の根本に

朱子学を採用したのには理由がある。 

 

それは、特別な家柄ではない徳川家

を日本の支配者として正当化し、

幕藩体制の根幹をなす身分制度を

構築する理論が必要だったからだ。

 

だから、

朱子学に傾倒した(利用した?)

林羅山の「上下定分の理」で

身分制度と徳川家の存在意義を

正当化しようとしたのである。

 

しかし、

本場の朱子学と日本のそれは

似ているが同じではない。

 

これまで全てのもの(仏教等)

がそうであったように、

丸まる真似ることがないのも

日本の特徴である。

 

それは、

ローマがギリシャの文化を

受け入れる場合と似通っている。

 

ところで、本場と日本式朱子学の

一番大きな違いは何か?

 

それは

プライオリティーの問題である。

 

本場朱子学では、

何よりも「孝」を一番大切にする。 

 

それに反し、

日本型朱子学は「忠」を

何よりも大切にするのである。

 

例えば、

国の明暗を分ける大戦争をしている時、

司令官のお父さんが死んだとする。

本場朱子学では戦争を放棄してでも

お父さんの葬式に出ることを選ぶし

他の人もそれを認めるのである。

 

日本の朱子学の場合

「孝」より「忠」なので、

司令官が戦線離脱するということ

などありえない。

離脱などすると他の人からは「弱虫」

あるいは「無責任」と罵倒され、

孫子(まごこ)の代まで軽蔑される

ことになるのである。

 

コロナ禍のニュースで日本在住の

韓国人がコロナの出国入国規制の

おかげで親の葬式にいけなかった

と恨んでいたということがあった。

 

彼にとっては人生の中で

一番重要なことである親の葬式に

出席するということができなかった

ので嘆き悲しむのは理解できる。

 

そういう本格的朱子学の影響が

韓国ではまだ大きいからである。

 

しかし、

ニュースを見ている日本人は

コロナだから仕方ないじゃない

かでさらりと終わりである。

 

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この違いは誠に大きいのである。

 

 

 

(おそらく、(4)’に続く)