前回禅宗と武士との関係から

「質実剛健は善」という判断基準が

日本人の心の中に埋め込まれたと

申しあげた。

 

それは、下記のような事情による

のである。

 

(2020/06/02付ブログ添削)

 

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禅宗を保護した鎌倉幕府、

というより世襲執権となった

北条一族は日本一の権力を

握ったにもかかわらず、

質素な生活で世にしられていた。

 

源頼朝の伊豆挙兵以来従ってきた

北条義時(政子の弟)も

質素であったが、義時の長男泰時は

義時に輪をかけて質素な生活を

していたようだ。

 

泰時は、

「まことの聖人である。

民の嘆きを自分の嘆きとし、

万人の父母のような人である。」

と最大評価された人物でもある。

 

(北条泰時)

 

能の「鉢の木」で有名な泰時の孫

時頼は、味噌だけで酒を飲んだと

いう逸話があるほどだ。

 

今どきの学生でも味噌だけで酒を

飲むことはないだろうに・・・。

 

海音寺潮五郎はこういう。

 

「こうまで倹素な生活をしなければ

ならないなら、執権になどなる必要は

ないではないかという気がするが、

こんな政治ぶりであったればこそ

当時の武士も恩義に感じたのであろう。」

 

北条氏は苦肉の策として、

政権を維持する為且つ

国の平安を保つため、

このように質素であることを家訓にし,

実行したと私は思っている。

 

なぜなら、北条氏は源氏の棟梁という

血筋でもないし(どちらかというと平氏)、

他の豪族たちと同格といえば同格で

あったからだ。

 

ただ、北条氏は頼朝が挙兵した時から

一族あげて彼に賭け味方した。

さらに、時政の娘政子が頼朝の正妻と

なったということも大きい。

 

”High rlisk high return” 

という原理からいえば、

執権は当然の地位ともいえる。

 

しかし、家格からすると

大した家柄ではない。

 

だから、

全国の武士を従えるためには、

豪族たちの手前普段の生活も

華美にはなれなかったのではないか。

 

理由はどうであれ、

結果的に日本人の心の中に、

「質実剛健は善」が浸透して

いくのである。

 

そして、それは常識になった。

 

時代を下り幕末の時

一番人気があったのは

西郷隆盛であろう。

 

西郷さんは質実剛健を

地でいく人だったから

人気があったのだ。

 

だから、

西南戦争で負けたとしても、

日本人は西郷さんが

大好きなのである。

 

数十年前に土光敏夫という

経済界の大物がいた。

IHIや東芝の社長・会長を歴任し

経団連会長にもなった人である。

 

「ミスター合理化」と

呼ばれていた彼は、IHIや東芝

内部では人気がなかったが、

世間一般では妙に人気があった。

 

それは、経団連の会長ほどの人が、

家でメザシを食べていたからである。

 

たまたまだろうが、NHKのある番組で

その場面が全国に流れたのだ。

 

「経済界NO.1であるにもかかわらず、

家ではメザシ一匹とはなんて質素なんだ!」

と日本人の琴線に触れたのである。

 

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いずれにせよ、

この「質実剛健は善」という

判断基準も世界的には一般的で

ないどころかむしろ珍しいことだ

ということは読者には認識して欲しい。

 

とにもかくにも、

目の前で贅沢三昧している人を

日本人は尊敬する気にならない

傾向があることは間違いあるまい。

 

さらに、現場主義というのもある。

 

元々の日本人的感覚かもしれぬが

できることは自分でせよ的な考えは

禅によって日本人の精神により

刷り込まれていったように思う。

 

さらにそれがベースになり

ものの考え方が帰納法的になった

というのもこの項で付け加えるべき

であろう。