反出生主義の旗手であるベネターは

いくら生まれた後に良い事が

たくさん起きるとしても、

それは生まれてくることが良いと

いう結論を導かないという。

 

いくら幸せで快適さに満ちた人生で

あっても、針の一突きのような痛み

だけで、その人生は

「生まれない方が良かった」ものに

なるという前提なのだ。

 

哲学者森岡正博先生によると、

イド・ランダウ(同哲学者)は

以下のように訴えているらしい。

 

このような考え方の奥底には、

「物事にほんの少しでも欠陥があれば、

それだけで全てがダメになる」

という発想がある。

このような完璧主義こそが人々を

生きにくくしている罠であり、

我々はそのような迷路から自由に

ならないといけないのだ、と。

 

このブログに何度も登場している

「男はつらいよ」の寅さんは

まさにベネターの真逆。

 

寅さんファンなら誰でも知っている

名場面がある。

 

甥の満男が寅を駅まで見送りに

行くシーン。

 

満男「伯父さん」

寅 「何だ?」

満男「人間は何の為に生きてるのかな?」

寅 「何だお前、難しい事聞くなあ、ええ?」

寅、しばし考える。

寅 「うーん、何ていうのかな、ほら、ああ、

   生まれてきてよかったなって思うことが

   何べんかあるじゃない、ね。

   その為に人間生きてんじゃねえのか。」

満男「ふーん」

寅 「そのうちお前もそういう時が来るよ、

   うん。まあ、頑張れ、なっ!」

 

とまあこんな調子であるが、

寅は不幸だらけの毎日でも

針の一突きの幸せがあれば

「生まれてきてよかった」と

思うもんだよと言っているのである。

 

完璧主義の真逆ではないか。

 

 

このブログの

「絶対正義と公序良俗」(2019.02.06)

も完璧主義と類似だ。

 

 

完璧主義を貫き通すことは

大不幸への一丁目なのである。

 

車のハンドルに「あそび」がなければ

事故は多発するだろう。

 

100%混じりけのない水、

つまり純水は飲めないどころか

毒になることを皆も知っているはず。

 

ところで、神道の大先生は

次のように仰っている。

 

「神様が造られたこの世は

水の世界であり浮世であり大海原。

つまりこの世は生命の海なので、

この中にいる以上生きているのが

当然であり他の生物と同じである。」

とにべもなく反出生主義など

矛盾でしかあり得ないという。

 

ベネターは南ア出身なので

アパルトヘイトで迫害された

悲惨な黒人の人々に同情したの

かもしれない(知らんけんど…)。

 

いずれにせよ、私は彼の真のねらいが

ショーペンハウアーのように逆説的で

あることを祈っている。

 

「世に生を得るは事を成すにあり!」

と坂本龍馬は言ったそうな。

 

龍馬さんのように単純明快に生き

られれば誠に幸せなことだと思う。

 

 

そんなことを考えながら逆説的に

桜から目を背ける今日この頃の

私であります。

 

(とりあえず、終わり)