反出生主義はどうにもこうにも

もどかしい。

直接議論すると負ける気もする。

 

しかし感覚では、

「そうではないんだがなあ…」

あるいは

「そうあってほしくないなあ…」

と思っている自分がいる。

 

私ですらこうなのだから、

ましてや世の中や自分の環境に

嫌悪感を抱いている人々は

「これだよ、これ!」と

反出生主義の船に意気揚々

飛び乗ってしまうに違いない。

 

この問題を考えるという事は

「人間は何故存在しているのか?」

という問いを考える事と同等であり

実に根源的な問題だと思うのだ。

 

「少子化!少子化!!」と

騒いでいる人々は単に他国との

GDP競争に負けるのを防ぐ為に

薄っぺらく大声をあげているのだろうか?

 

かえって、

反出生主義者の方が

人類の真の幸せを願って

いるような気すらしてくる。

 

ところで、

仏教でいう涅槃(ねはん)は

全ての煩悩の火が吹き消された状態、

すなわち安らぎ・悟りの境地を指し、

入滅であり本当の死去を意味する。

 

(寝ているのではありません!)

 

本当の死去ということは

金輪際「輪廻」もないということ。

 

私は反出生主義者の主張は、

「皆で涅槃の境地に行こうよ!」

と言っているような気がする。

 

しかし、

涅槃というのは仏の入滅であり

仏の足元にすら及んでいない

我々凡夫のなせるわざではない。

 

我々は輪廻から外れることが

できないのだ。

 

つまり、

我々にとって涅槃の境地は

不可能の極みなのである。

 

一方、

神道的観点からいえば、

「人間でいたくない」と

言ったり思ったりするならば、

神様はそのようにしてあげよう

ということで、

我々が生まれ変わった後は

動物や虫等になる。

 

反出生主義者が

動物や虫等になりたいなら、

そう主張あるいは願い続ければ

いいと神様は仰るだろう。

 

では、虫の例として

蝉のことを考えてみよう。

 

6~7年土の中で暮らしていながら

生殖の為だけに危険な地上に

のこのこ現れ、声をからしながら

「やらせろー!」と叫んでいる。

 

 

鮭は、

川で産まれ、海に下り、

3~5年回遊し、

故郷の川に回帰し遡上する。

故郷に帰った鮭はその時点で

精も魂もボロボロ状態。

 

この危険な旅は、

産卵の為だけなのである。

 

精子をまき散らすオスの狂乱ぶりには

驚くし、産卵したメスは精魂尽き果て

ぱさぱさの死骸になるのはご存知だろう。

 

(狂乱状態のオス)

 

(ぱさぱさのメス)

 

また、

あのコロナウイルスは生物ですらない。

しかしDNAは持っている。

生物でないウイルスに意志があるかどうか

私は分からぬが、彼等(?)は自分の

DNAを残す為敢然と人類に対抗した。

 

さらに、

植物は自分の種を守るために意志を持ち

あらゆる努力をしていることを

最近植物学者が明らかにした。

 

このように

人間以外の生き物は

「生殖こそ人生」なのである。

 

毎日毎日、頭の中は「生殖」の

一字が支配しているのだ。

 

神様の合目的性の一つが

「それぞれはそれぞれが守れ!」

というのであれば、

生き物の行動も理解できる。

 

はたして

反出生主義者は人間だけ特別と

考えているのだろうか?

 

しかし結果は、

反出生主義者らが主張を貫けば

生まれ変わると他の生き物になり、

主張とは真逆の人生、

つまり生殖の為だけに必死に

生きることになるのであろう。

 

大変気の毒なことだと

同情を禁じ得ない。

 

(続く)