こども家庭庁は3月29日
少子化対策の財源として
医療保険と合わせて集める
「支援金」について加入者
一人当たりの負担額の試算を
公表した。
企業の大小や公務員等負担額
は違うが平均すると、
国民一人当たり450円。
平等に負担するというのは
不平等だと感じる。
子供の有無により差をつけるのが
むしろ平等だと思うがどうか?
とにもかくにも
「少子化」は大問題であり、
どこもかしこも
「人手不足」に喘いている。
こういう中でじわじわ鎌首を
もたげてきているものがある。
「反出生主義」
アンチナタリズム(antinatalism)
である。
反出生主義は
①誕生否定:
人間に生まれてきたことを否定
②出産否定:
人間を新たに産みだすことを否定
古くは生の哲学の祖
ショーペンハウアー(1788-1860)
からのものらしい。
(気難しそうなショーペンハウアー)
最近アンチナタリズムとして世間に
拡がっているのはデイヴィット・ベネター
の影響が大である。
(大丈夫ですか的なデイヴィット・ベネター)
ベネターは、
誕生は生まれてくる人にとって
常に害であるとし、人類は生殖をやめて
段階的に絶滅するべきという
「誕生害悪論」を主張。
ショーペンハウアーは
「一度我々が生きる意志を
否定したなら、この地球上に
人間を産みだすのは、余計で
無意味で道徳的に疑問のある
行為だ」と言っているのであって、
我々が生きる意志を肯定すれば
「その限りにあらず!」と
言っているのである。
つまり、多少シニカルでは
あるがショーペンハウアーは
「しっかり意志をもって生きよ」
と我々を叱咤してくれている
と言っていい。
一方ベネターはそうではない。
生まれていること自体不幸なので、
さらに産むなんてとんでもないこと
だとむべもなく「出生」を全否定
しているのである。
子供を産むということは
生まれてきた子供に人生の痛みや
苦しみを強制するのに他ならない。
そのような痛みや苦しみは、
人生の快楽や喜びによっては
埋め合わせることができないのだから、
もし本当に子供の身になって考えるなら、
我々全ては子供を産まないという決断
をするべきと主張するのだ。
さらに、
この世には耐えがたい苦しみを
かかえて生きる人がたくさんいる。
もし子供が全く産まれないならば
そのような苦しみはこの世から
完全になくなる。
「苦しみを根絶すること」
それは人類の夢であるが、
全員で子供を産まないことに
よってのみそれが可能であり、
これこそがもっとも論理的で、
子供の視点に立った
根本的解決であると
のたまうのである。
(続く)