前回「集炭素」のブログの中で

廃プラスチックに食いつく人が

いたので、少しその辺のお話し。

 

1967年映画「卒業」は

ダスティン・ホフマンの出世作。

 

 

この映画の中で彼が演じる主人公

ベンジャミンは有名大学出身で

将来を嘱望される学生。

 

あるパーティーで

「どこに就職するのかね?」

と問われたベンジャミンは、

「化学会社あたりでしょうか…」

「そうだね、今からは

プラスチックだからね!」

という場面があったように思う。

 

60年代から人間はプラスチックの

開発と生産に躍起となり、

あっという間に世界はプラスチックに

埋め尽くされたのである。

 

こういえば悪い印象を抱く人も

あるかもしれないが、

プラスチックは我々人間の生活を

劇的に変化させた。

 

様々なものがプラスチックで

作られることにより、

加工が容易になり且つ安価に

モノが手に入るようになり、

我々人類は頗る恩恵に

浴したはずである。

 

ところが

80年代からダイオキシン問題が

ポツポツ出てきたと思うと、

90年代にはダイオキシン様は

世間を我が物顔でのし歩くように

なったのだ。

 

ダイオキシンはプラスチックを

燃やすと必ず出ると思っている人

が多いが、それは明らかに違う。

 

塩素を含んでいないプラスチック

例えば、PE(ポリエチレン)、

PP(ポリプロピレン)や

PETボトルなどからは

燃えてもダイオキシンは出ない。

 

とはいえ、

産業廃棄物中のプラスチックは

氏素性が明確であるが、

一般廃棄物(分かりやすくいえば

家庭ごみ)は雑多。

 

家庭ごみプラスチックの中から

塩素の有無を見分けるのは

一般人にはとても無理だと

自治体は判断した。

 

そこで各自治体は「燃えるごみ」

と「燃えないごみ」という具合に

大雑把に区別したのである。

 

プラスチックは全て

「燃えないごみ」だった。

 

実際はプラスチックのカロリーは

石炭のカロリー(6500Kcal/Kg)

よりはるかに高いので、

非常に良く燃える。

 

プラスチックは

超燃えるごみなのだ。

 

さらに言えば、

燃やせるか燃やせないかは

各自治体が保有している

焼却炉の種類や仕様による。

 

従って、正確にいえば

「焼却適合ゴミ」と

「焼却不適合ゴミ」

という分け方が適切だと思う。

 

最新の焼却炉は

ダイオキシン対策もしてあり、

発電設備付帯のものが多い。

 

発電する為にはカロリーが

必要なのでプラスチックを

燃やしたいはずだ。

 

小生のマンションもそうだが、

PETボトルは何故かカバーを剥がし

PETだけ分別(ぶんべつ)している。

 

カバーを剥がさずに持ち込むと

管理人やマンション住人に

人でなし的眼差しを向けられ、

分別(ふんべつ)くさく

「ちゃんと剥がして下さい!」

と冷たく毒づかれる。

 

 

毒づいた彼等はそれらのボトルが

きっとリサイクルされるはずだと

信じて疑わないからである。

 

しかし、それは嘘。

 

確かに数十年前の一時期リサイクル

したこともあった。

 

 

けれど、結局バージンから作るよりも

はるかにコストがかかり、質も悪い。

 

結局、

カバーを剥がしたPETボトルは

焼却炉で燃やしているはずだ。

あのカバーもエネルギーになったのに、

もったいないことである。

 

我々がやらねばならないのは

輸送効率と貯蔵効率を上げる

ためにボトルを小さく潰す

ことだけなのである。

 

誤解して欲しくないのは、

分別(ぶんべつ)する必要はない

と私は言っているのではない。

 

例えば、ビンや鉄缶やアルミ缶は

分別すれば明らかに資源になるのだ。

だから、分別すべきである。

 

分別(ぶんべつ)するかどうかは

前述したように各自治体の焼却炉

やリサイクル設備の性能による

ことを理解して欲しい。

 

従って、分別(ふんべつ)ある

分別(ぶんべつ)を心掛けねば

ならないのである。

 

 

因みに、細菌学者だった父が

晩年こんなことを言っていたことを

思い出した。

 

「細菌は間違いなく何でも分解する。

プラスチックも例外じゃない。

その細菌を探すから研究費をくれ!」

 

あの時、研究費を工面すれば

よかったかも…。