トランプ大統領誕生を

予想できなかったマスコミは、

白人労働者層の怒りを巧みに

結びつけたポピュリズム戦略が

成功したのだと分析して

納得した風を装っている。 

 

マスコミの言うポピュリズムとは、

実際にはできもしない

大衆受けする政策を並べ、

また大衆の情緒を刺激する

文句を並べたてて、

大衆の歓心を買うことである。

 

佐伯京都大学名誉教授は

「大衆迎合」は危険だがと

前置きしつつこれに警鐘をならす。

 

米国のポピュリズムという

言葉の歴史的展開は、

1890年代に成立した

通称「ポピュリスト・パーティー」

すなわち「人民党」だという。

 

生活が困窮した農民が中心となり、

中央のエリートを非難して

人民の生活の防衛を訴えたのが

人民党だ。

 

だから、元々「ポピュリズム」は

「大衆迎合」ではなく、

「人民主義」なのであったと。

 

弊前ブログ「キケロの帰結」でも述べたが、

キケロの「祖国愛」と

カエサルの「祖国愛」の

定義が少し違うことによって、

愛国者が愛国者を殺すという

必然的矛盾を生じさせてしまったように、

ポピュリズムの定義が違うと

大変な誤解を国民に植えつけ、

政治的不毛をもたらすことに

なるのではないか。

 

ポピュリズムを「人民主権」を示す

言葉だと定義すると、

人民の求めるものが政治によって

実現するということになる。

 

これは、

「人民に評判のよい政治」である。

 

一方、

「ポピュラー」は「一般に評判のよい」

という意味を含んでいるので、

言い換えれば「大衆迎合」にもなる。

 

このように考えていくと、単純に

「ポピュリズムは危険でけしからん」と

決めつけるわけには

いかないのではないだろうか。

 

佐伯名誉教授は最後にこう言う。

 

「民主主義とは、多数の人民に

支持される政治であるから、

それが”大衆の評判”の獲得を目的にする

のは当然であろう。つまり大衆迎合主義は

元々民主政治の本質である、

とまずは理解しておかねばならない。

皮肉を込めていえば、米国はやはり

民主主義の本場なのである。」と。

 

誠にご慧眼である。

 

そして、我が仮説

「グローバル化=米国化=ローマ化」

の等式が正しいのではないかと

ますます思えてくるのである。