父は織田信長が好きだったようだ。 何故好きかというのを
聞きそびれてしまった。

 私が小学校の時に、「お前はニコニコし過ぎる。もっと、
相手に威圧を与えねばならない!」と言われたことがある。
私はその時も納得がいかず、今も納得がいかない。
元来天邪鬼の私はそれ以降、いつもニコニコで世の中を渡って
きた。

 久しぶりにネバ君の話をする。

 あまりこういうケースはなかったのだが、一度だけ父とネバ君と
私の三人で鮎を取りに行ったことがある。 その時、川原まで車で
降りて鮎を取り、いざ帰ろうとすると車が坂でスリップして登れ
なくなってしまった。 日も暮れてきた。 おいおいどうするんじゃ
と思っていた私たちに父は、
「入ってきたもんは出るもんじゃ!」といって四苦八苦の末元の
道に戻ることができた。

 ネバ君はそれを見ていて、「お父さんはたいしたもんじゃ!」と
言っていたく褒めた。 父は父で「ネバ君は気迫があっていい子じゃ。
お前も気迫を表にださにゃいかん!」と言われた。

 私は悲しかった。 そもそも入ったものが出ないものなんて
いくらでもある。 銛だってそのようにできてるではないかとか、
出てきた赤ちゃんを戻せるかと反論したくなった。
何となく二人の関係に嫉妬していたのだ。

 ネバ君は様々なことに好き嫌いが異常にはっきりしていた。
ソフトボールをやれば四番サードしかやらない。 加山雄三が
好きだといってスキーをやる。 広島出身なのに巨人が好きになり
周り全てを敵にしても巨人の弁護をする。

 そう、ネバ君は織田信長的なのだ。 だから、父も彼が好きだった
のであろう。 私はそれに反発をして秀吉的な生き方をしたのかも
しれない。

 父は私を褒めたことがない。 

 だから、父が田舎五段と称していつも打っていた囲碁で負かして
やろうと思って中三だったか高一だったかに寮で囲碁を覚えてから
囲碁のライバルは父になったのだ。

 囲碁で父を抜いたのは二十代になってからだった。
追い抜くと気が抜ける。 私はそれ以降あまり勝ち負けに拘らなく
なった。 しかし、逆に父は負けると猛烈に悔しがるようになった。

 「俺に二子置かせるくらいにならないと、自慢はできんぞ!」と
また私を刺激するようなことをいう。

 結局二子でも私が勝てるようになると、彼は「二子では打たん」
といって、相変わらず互先(ハンディなし)で打つのだ。
だから、いつも私が勝った。

 しかし、こんな秋の夜長に一人でいると、突然「コータローやるか!」
と父の声がしてくるような気がする。