一昨日出張で東北新幹線に乗っていた。


 日経新聞の一面に、「男性不妊治療に助成」と載っていた。


 「男性不妊治療に”女性”」でも通用するかなとしょうもないこと

を考えながら流れゆく車窓に視線を投げた。


 山々はいつの間にか色づいている。 この満席の人々の多くは

この色づきを愛でる為に乗っているのだ。 明らかに東海道新幹線と

乗客の種類が違うのでそう感じた。 サラリーマン風のパーセンテージ

が圧倒的に低いのである。


 江刺水沢で降りレンタカーで大船渡に向かった。 空気が凛として

澄み切っている。 その中に映える紅葉は見事だった。

もみじの紅やイチョウの黄色もさることながら、たわわに実る柿が秋を

より強調していた。


 私は少年時代紅葉なんてものはあまりにも身近過ぎて、感動したことも

なかった。 しかし、東京に住んで何十年も経つと何でもないと思って

いた光景が心に染むようになってしまった。


 ところで、自然科学的に色というものを考えると少し感動が薄らぐ。

そもそも我々が見ている色というのは、ある物質に光が当たりそれから

反射する光を見て「ああ美しい」だの「おお、おぞましい」だのと宣って

いるのだ。 物質に当たる光は全ての色を含んでいる。 それから

反射してくる光はその物質が吸収しなかったものだけである。

つまり、紅く見えるもみじは紅色が不必要なのだ。 イチョウは黄色が

不必要なのだ。 柿に至っては柿色が不必要なのだ。


 その不必要な色を見て、我々は「紅色といやあ、やっぱもみじじゃねえ」

とか「黄色はイチョウにかぎる!」とか囃子たてているのである。


 このように考えるとちょいと紅葉狩りも興ざめになってしまう。


 色とは違うが、例えば私を見ている人がいるとすると、その人は私が

不必要だと思う私を見て私を評価していると思っているのかもしれない・・・。


 などと考えている間に、大船渡に到着した。