小田原市では守屋前政権の時にソーラーシェアリングは私がやってるからと積極的に言質が出なくなり、
井上現市議会議長がソーラーシェアリングについて質問しても守屋前市長は全く答えないでガン無視。
同時に今の副市長になった武井経済部長(当時)がソーラーシェアリングについて否定的な答弁をし、

私が経済部長室に電話をし実際に対面で大いに抗議をし(議論をして)ました。
それでも小田原かなごてファームとしてソーラーシェアリングを作り続け、
加藤憲一現市長にもプッシュをし、マニュフェストでもかなり上位の政策に位置づけてもらい
20,000票差で圧勝して加藤憲一市長が政権を奪取し、

苦難の時を経てソーラーシェアリングをそれでも作り続けて来たことが神奈川県最大の発電事業者と私はなりました。

そうして誕生した第二次加藤憲一政権ではソーラーシェアリングがエネルギー分野だけでなく農業分野でも行政で最も権威がある
『総合計画』
にシッカリ両分野に明記されるという快挙を達成。

小田原市が考えるソーラーシェアリングのモデルを提示するまでになりました(ほとんど私が指摘した中身)。
10年にわたる汗と涙の結果としてこうしたことが実現されました。
そうしたことから多くの企業や農家がソーラーシェアリングについて安心感を与えられたのでしょう。
具体的な建設に向けて案件が出て実現可能性が高いものが続出しだし
まさに新しい経済のエンジンとして、また耕作放棄地対策として動きが加速化しました。
今回、自然エネルギー財団さんからお声がけを頂き、来年1月末にこうした中身をトップバッターとしてお話しする機会を頂きました。
是非、小田原モデルを体感しにいらしてください。
私以外にもソーラーシェアリングを全国で推進する仲間からの実践的な報告があります。
