24年ぶりの靖国参拝と私が提唱するヤジロベエ保守 | おやまだやまと公式ブログ『推譲(すいじょう)』

今日は国連大学に用事があり折角だからと24年ぶりに靖国神社に参拝しました。




24年前は大学4年生。小泉純一郎総理が誕生して靖国参拝をする、しないで紛糾していた時期に


8.15に参拝したもんだから、右翼も左翼もすごい騒々しい感じで物々しさが満載な中、参拝したのを思い出します。


小泉総理は親中派と言われた加藤紘一さんらの進言もあり、その年は8.15を前倒しして8.13に公式参拝しており


その賛成派と反対派の街宣がすさまじかったわけです。


最も中韓は8.13に参拝しても態度は硬化したままで、以降、小泉総理は在任中毎年どこかで靖国参拝を繰り返し


2006年、即ち退任する一ヶ月前の最後の参拝は公約通り8.15にやり、日韓、日中関係は完全に冷え込みました。


第一次安倍晋三政権は、この隣人の韓国、中国との関係改善をまず真っ先にやった経緯もあります。


あの歴史修正主義者と言われた安倍晋三さんも最初はこうしたことをやって政権の安定に努めたわけです。


大学4年生当時の私はでは総理の靖国参拝をどう感じていたか?というと




いいんじゃない?


そう思ってました。


当時はまだまだ左翼的な教育と言われる日教組の教育が根強くあり、今みたいなタカ派みたいな右旋回にふれまくる勢力は自民党の主流ではなかったわけです。


だから自民党もリベラル色がまだまだ強かったんです。


小泉純一郎、安倍晋三という政権が自民党を大きく変質させた


というのは間違った見立てではないと思います。彼らの派閥は福田派、清和会でありほぼ一貫して自民党の中では非主流派でしたからね。


クリーンなタカ派


という感じに対して、主流派だった田中派・木曜クラブや竹下派経世会→小渕派・平成研は


ダーティーなハト派


と言われます。


戦後の日本人は金には汚いが戦争はしない。必要最小限の軍備だけで経済優先という


吉田ドクトリン


を標榜する方に長く政権を委ねてきたわけですが、選挙制度改革で小選挙区制度になって自民党の執行部が強くなる中で小泉、安倍という非主流派が長く政権に君臨することで


また、小泉総理は、竹下派経世会の力の源泉を


自民党をぶっ壊す


の名の下に潰してしまいましたからね。


保守概念が変質して


それが2025年の政治情勢のベースになってしまったのです。


核保有の方が安上がりだとか言ってしまう参政党や高市早苗なんて昔なら絶対に総裁にはなれない感じだったのにそれが現実味を帯びる


そんな政治情勢の中での靖国参拝はさぞものものしいのかと思ったら


非常に静寂でした。




集団的自衛権を閣議決定してから安保法制などの議論を経てこの国の行き過ぎた右傾化を


ある意味、誰よりも右的な学生時代を送ってきた私が憂いているのです。


戦陣に散り、戦禍に斃れた人たちに哀悼の誠を捧げ、不戦の誓いを述べるべく参拝をする


という、小泉総理の気持ちはわかるし、共感も出来ます。


日本が侵略をしたことは反省するがいつまで謝りつづけなきゃならないんだ


という安倍晋三さんの気持ちもわかる。


中国や韓国に言われたから参拝しないなんて内政干渉だ


というのもわかります。


僕が考えて実践してきた保守というのは今書いてきた通り


左に触れすぎてるときは右を主張し、右に触れすぎてるときは左を主張することでバランスをとる


ヤジロベエ保守


なんです。


あの戦争が何で起きて歯止めがきかず、止められなかったのか?


といえば、バランスを欠いたからだと私は思います。


極端な事を言って力を得た人はどこまでも極端なことを言い続けなきゃなりません。


そして、その空虚さに国民は熱狂し、止めどないあり地獄に入ってしまうわけです。


だからヤジロベエ保守って考えが必要なんだと思うんです。


私は警察一家に育ち、剣道もやってきました。考えとしてそこで育まれた思考は間違いなく保守です。


だけど共産党と仲良くしたりして、左翼とか勝手にレッテルをはられるのは心外です。


ヤジロベエ保守というのは、バランスをとる保守概念ですから、その中で協力してくれる勢力とはどこまでも協力するって考えになります。


今、自民党を支配してる小林たかゆきとか萩生田とか安倍派の連中の保守観というのは


私は何で小林たかゆきとかが自民党の若手のホープなんてもてはやされるのか?


彼の思想や政策にはっきり言って何の魅力もないし、あれが保守の論客なんて、笑わせるな、位に思ってますが


まあ、あ~いう保守原理主義みたいな人からしたら風見鶏みたいな


カメレオン保守観念の私


なんぞは


骨がない


とか言われるんでしょう。


だけど、保守ってのは本来、地域の状況や社会の状況で変えていくのが保守の積み重ねなんだと思います。


故に幅が広く、間口が広いからこそ、何でも飲み込む懐の深さがあったからこそ、今まで政権をとれたんです。


それが今の世相みたいに教条主義的になる勢力が増えると、世は非常に狭量につまんない世界になると思っているんです。


背骨がない保守


じゃないんですよ。


芯がない


いいんじゃない?


芯が邪魔して硬くなりすぎて柔軟じゃなくなるより、


まさに先の戦争があれだけ戦局が悪化してるのにやめられないで塗炭の苦しみと犠牲を国民に強いた歴史があるんですよ。


そんなことになるより、機に応じて変化に富む保守観念のほうが私は国民の為になると思います。


改めてこのブログは靖国神社のベンチで書いてますが😄靖国の御霊を前に、せせこましい保守観念にならず


本来の裾野の広い富士山のような保守観を為政者にはもって欲しいし


私も一旦、事あり、有事となる時はそうした『保守観』を掲げて戦って行きたいと思ってます。