『履き物を揃えられない』日本人を考えて | おやまだやまと公式ブログ『推譲(すいじょう)』

昨日、成田空港近くで宿泊した時のこと。🚻トイレのスリッパの散乱状態を見て 


日本人の倫理観、精神性

ここまで落ちたのか?


履き物を揃える


なんでそうするのか?


他人の立場を慮る


ってことなんだと思うんですよね?


履きものがそろっていれば次の人が使うときにスッとつかえますよね?


それがあっちゃこっちゃ行ってればわざわざ一手間かけなきゃいけません。


そうはさせまい


という気配り、目配り、心配りが



というものの本質なのではないか?


躾だからやれ


だと義務なんですが


他者の立場に思いを致し、自分がやられて嫌なことを他人にはやらない


自分がやられて嬉しいことをやる


それが日本人の美徳であり心意気なんだろうと思います。


履きものがそろっていないのは心の乱れだという人がいます。


そうだろうと思います。


最近、道を譲ってもらっても


ありがとう


と言わない人が多いな


とも感じます。


譲られるのが当たり前だと言わんばかりの行動なんですよね。


履き物を揃えない

ありがとうを言わない


これ、全て


自分本位


だからです。


自分のことしか考えてないからこそ、こーいうことになります。


自己を本位とせず


歴史上の人物が座右の銘としてましたが、誰だか忘れてしまいました😄


私は今の小田原かなごてファームの事業を展開するに及んで二宮尊徳が唱えた






推譲の精神


の重要性


を唱えています。


まさに


自己を本位とせず


なのです。


いま、多くの日本人が自分のことしか考えない。そんな存在になってしまったのではないか?


そうおもいます。


グローバルスタンダードと称されるアメリカンスタンダード。構造改革と言う名の弱者切り捨て。


自国ファースト、何とかファーストがこうした風潮を作ってしまったのかな?


と思います。


日本にあった謙譲の美徳、惻隠の情という日本人が培ってきた精神性が崩壊してる今


推譲というのは四書五経の大学という書物にある、みたいに聞いてますが、


まさに、江戸時代に花開いた儒教のような精神性を引き継ぐ


推譲の精神


こそが必要なんだと思います。


因みに私はトイレのそのグチャグチャな履き物、最初は自分の履いたものだけ揃えて出て


風呂から出て来たら 、また、めちゃくちゃになってたから


今度は全部揃えて来ました。


人から言われてやるのは義務ですから気が向きませんが、なぜ、それをやるか?


自分なりに得心すれば行動が変わります。


私は履き物を揃えるのは、やはり自分中心に物事を考えてしまうという癖を直す、見つめ直す修養だと思ってやっています。


それだけでは固くなりダメですが、しかし、高い精神性というものが信頼や信用を生むのではないか?


私はそう感じ修養を積むことを心がけています。


それは、目的の為には手段を選ばない。勝つためには何をしても良いという守屋輝彦のような人間を小田原市長にさせてしまったのを見て


あーなっては絶対にダメだ


そう感じたからに他ならないですね。