日曜日に開成町牛島宮林2号堰用水組合の総会に出席していたら、問い合わせメールが入っており、
開成町で休耕地を持っていて有効活用してほしい、
という内容でした。
翌日、朝一番で電話をしました。その時は留守番電話でしたのでメッセージを入れて電話を切りました。
10時から小田原市の職員と農家カフェSIESTAで打合せをしていると突然ひとりの女性が訪ねてきました。
なんと、この問い合わせをされた方がアポもなく突然、訪ねてきてくれました。
そして、話を聞くと、私が命がけで市長に戻した加藤憲一小田原市長と同級生だといいます。
後ほど市長に確認したら高校一年生時のクラスメイトだということで、15-6歳のころの加藤憲一ってどんな感じだっのだろうか?と聞いたら
「ワンゲル部で生徒会長。とっても誠実なお人柄で穏やかな方」
だったそうです。
当時から「誠実・信頼・希望」だったわけですね。
そーいう、人格として申し分のない人を命がけで市長に戻しえた。
20年の守屋輝彦陣営による極めて卑怯な選挙手法で544票差で苦杯をなめた選挙では加藤憲一さんと心中するみたいになりました。
一人10万円を契機に厳しく守屋市政を糾弾したことによって受けた批判と非難。
集中砲火を浴びつづけた。
つまりは艦砲射撃を4年間ずっとやられたようなものだと振り返ってみても思います。
そうした4年間の「あの厳しく苦しかった」在野の期間を共に経て、圧勝できたことは僕の人生にとっても、ものすごく貴重な時間となったわけです。
申し分ない人徳の人と苦楽を共にして市長に戻せたことは貴重であり誇りに思う出来事でもあります。
また、開成の町長である山神町長のお姉さんとは旧知の間柄である、とのことでした。山神町長とは面識はないそうですが。
私は山神さんが最初の選挙で30票差で敗れた後くらいから、平野百合子 松田町議のつながりもあって親しくさせていただいていたので、非常に親近感のある首長さんです。
そのころから営農型発電の有用性を訴えていますが、山神さんもいろんな人の手前もあるでしょう。
営農型については踏み込まない形となってしまっています。そのことは極めて残念ではありますが
今の政治家というのは所詮バランスの上にしかのっかれない人たちばかりで、
この国を良くしたい、
とか、
そーいうポリシーが感じられないわけです。ない、とはいいませんが
国民や市民・町民に感じられない信念は信念とは言わないのであって、共感もくそもないわけです。
国や地域を引っ張るリーダは「男は黙ってサッポロビール」ではダメです。
わかってるのか?
石破総理さんね(笑)。
で、これだけ私の間柄で知っている方の名前を出されてはやらないわけにもいかないだろう
特に開成町はこの前、営農型を建設したばかりですからね。しかも、同じ地区になるんで、農作業も効率的にやりやすい。
たまたま、昨日は東京に行く用事があったのですが、なくなってしまったので、色々な仕事を片付けて隙間時間を見つけたので当該の場所を見に行ってみました。
南足柄市域との境界に限りなく近い開成町の土地でした。
場所としても悪くありません。土地の面積が1反(300坪)程度なのでどこまで載せられるか?だな、とは思っています。
また、小田原市だと補助金が使えるのですが、開成町は補助金がないので、補助金を使うなら、都道府県や国の補助メニューを使わなければなりません。
実は、先行してる開成町の営農型も、きっかけは農家カフェSIESTAに当時の土地の地権者の知り合いがお客様として訪ねてこられて、突然に
「遊休農地を取得するということに興味はありませんか?私の仲間が困っている」
みたいに言われたことがきっかけで
あれよあれよという間に取得がまとまり、所有権移転登記を行いました。
つまり、同じ開成町の案件で、あの時の最初の雰囲気と今回がとてもよく似ている、と私が思ったのです。
だから、これは神様のお導きかな?とも思っています。
ご縁者だな、と。
なので、前向きに検討したいと思っています。
これは検討しているものも含めて小田原かなごてファームとしては10号機目のプロジェクトです。
10年で10号機を検討するまでになるとは、私にとっては
夢のまた夢
です。
市民活動からはじめて経済界のいいところをまねて、それこそ、自然エネルギーを推進する先行する人たちから批判や非難をされて、
それでもめげずに自分を貫き通して今があります。私のことを批判し、非難しまくって足を引っ張った方は既に鬼籍に入りました。
先に書きました小田原市長選挙で私のことをつぶそうとした自民党関係者や小田原の一部の経済界、業界団体の人たちの心無い仕打ちは自らの力と行動と私を支えてくれた人の力によってねじ伏せました。
考えてみれば2020年までは小田原かなごてファームの営農型発電は2機しかありませんでした。
それがこの5年で10機を検討するまでになった。
実に5倍の発電数を検討するところまでになりました。保有数としては3.5倍に発電容量も1/2メガソーラーになりました。
私としては創業者として非常に感慨深いものがあります。
我国の脱炭素を進めるにはこの程度の規模拡大では到底かなわないのですが、しかし、
私は自分なりに持続可能な社会を作っていくためにやれることを思いっきり、後悔なくやろう、
という思いで今日まで走り続けてきました。
この思いや価値を次の世代に継承するために今回の発電所は、
若い人たちに営農型発電所はこうやって作るんだよ、ということを本当の意味で体感・体験してもらう仮称「若者による建設プロジェクト」にしようと考えています。
そして、それを共にやってくれる新電力会社としては是非にもお願いしたい会社がありまして、
そことの折衝、農業委員会との折衝、融資の折衝(資金の折衝)、地権者との折衝を若者たちに任せたいと思っています。
そうすれば、仮に僕が死んだとしても次に続く人たちがいれば必ずや
世を正しき方向に導いてくれる
はずだと。
美しい国や社会に若者の力でしてくれるのではないか?
いつの時代も世を変えていくのは
若者です。
その若者を育てる人間が必要です。
西郷隆盛の島津斉彬であり、坂本龍馬の勝海舟であり、高杉晋作、伊藤博文、久坂玄瑞の吉田松陰でもあります。
自分がやれることはそういうことかもしれないな、と思っています。
資金については、融資だけにとどまらず、必要ならば補助金の申請、クラウドファンディングなど、
様々な資金調達の方法を若者目線で考えてもらいます。
つまり意思決定を若者たちにゆだね、行動もしてもらい、そして、最後の決断は私がする、ということで彼らに体で覚えさせる、という感じです。
いずれにしても、この10号機のプロジェクトは地権者との交渉が妥結できるか否かも含めてまずは始動させていきたいと思っています。
なお、この土地は現在畑になっていますが、もしやるならば元々は田んぼですので田んぼに戻すつもりです。
慢性的なコメ不足であるならば米を作って日本の食料自給率の向上に貢献したいと思っています。
営農型はそーいうことにも対応することが出来る。
営農型太陽光発電(ソーラーシェアリング)は単に自然エネルギーや脱炭素社会を作るだけでなく
食・農・エネルギーの持続可能性に貢献できる
ものであることを天下に示していきたいのです。
それが、政治家にも出来ない官僚にもできない、現場を知り現場で汗を流すものの
実践者の面目躍如であり、
一寸の虫にも実践家魂
である、と思っています。