小田原の街づくり「態度を硬化せざるを得ず」 | おやまだやまと公式ブログ『推譲(すいじょう)』

 

私にとってはとあるまちづくりを判断する上で「一つのリトマス試験紙」がありました。それに「相応の対応」をしていただけるならば、ね。

 

が、そんなに難しくないことをいつまでたっても「ゼロ回答」では

 

そんなんなら結構です。ということです。

 

あの対応は、間違いなく将来に禍根を残すことになると思います。

 

少なくても

 

「共にやっていく」という機運をぶち壊していくという意味ではとても効果的です。

 

私としてはこの間、様々な人の斡旋もあり、まあ、小田原の街づくり全体のことを考えて対応をしてきたつもりです。

 

例えば、この人と組まなきゃ仕事が出来ない、とか、まちづくりが出来ない、というならば、それはそうしますが。

 

別に私は何ら困らないのです。向こうもそうなんでしょう。

 

いま、うちは、それなりの成果も立場も確立してきているのです。昔とは違うのです。

 

こちらにもプライドというのがあります。

 

「関わりたくない」とか「一緒にやりたくない」ということを今回のリトマス試験紙は示したんだな、と私は判断しています。

 

私としては特に2020年の小田原市長選挙の対応を含めて「遺恨」はあります。結果として相当なことをされましたからね。


それを許せと言われても私は許すことは出来ませんし、許してはならない。


人間が出来ていませんし、そういう立場でもありませんし。

 

どんどん溶解とか連携ということは遠のくばかりです。

 

ただ、越えなければならない、とは思っています。

 

小田原(に昔からいる)人というのは「城下町根性」という「異質なものを受け入れず、自分たちの言語の通じるところでしか群れない」習性がどうしてもあります。

 

ここが変わらない限り、いくら小手先のことをしても本質的には変わらない。

 

どっか、哲人国家論みたいな、元々小田原にいた人たちだけで政(まつりごと)は行えばいい、一門や譜代衆だけで政治・行政・経済は行えばいい、というのが強いですね。

 

よそ者だったぼくには本当にその温度感、空気感がわかります。

そういう昔からいる人たちのギルドというか、特権階級意識が潜在的な部分にある。

 

フロイトではないが「無意識の自我」ということだと思いますよ。

 

これを放置しているから小田原は

 

これだけ自然資本が豊かなのに

 

イマイチ

 

と言われてしまうのです。
 

先ほど「越えなければならない」と書きました。

 

だから

 

相手方が今後「変わってきたな」と感じることがあるならば、当然に当方も柔軟に対応します。

 

が、今のような対応をされるなら

 

「態度は硬化せざるを得ない」。

 

外交です、外交。

 

そういうことです。

 

このブログは、そういう意味でメッセージととらえてもらえれば結構です。

 

今のままでは態度は硬化せざるを得ない。だけど、融解の窓口は残しておく。

 

そういうことです。