凄いことがおきている~推譲の精神~日本の「市民力」は捨てたものではない | おやまだやまと公式ブログ『推譲(すいじょう)』

一昨日、かなごて流域祭へのカンパ、寄付、協賛を投げかけました。

 

それまで全く集まってませんでしたし、私も若者たちにまかせていたのですが

 

 なかなか集まらない状況についに私としては動いたわけですが

 

次から次へと支援の輪が広がっています。

 

 

ホントに有難い限りです。

 

まあ、協賛や寄付やカンパをお願いをするとその人の人間性が見えてくるものです。

 

私に対してカンパするよ、とありがたい申し出をしてくれた人はそのほとんどが

 

市民です

 

金があるはずの経済界なんて、私はとりたてて連絡をしているわけではないですが、即答では出しません。

 

色々と理由をつけて「出さない」

 

そんなことは私は過去10年以上やってきてわかっているし、経済人というのは基本的に吝嗇です。

 

協賛というのはその性質上「このお金を出して自社にとってどれだけのPR効果があるのか?」そういうことを考えて出すものです。まあ、小田原の協賛なんてそうなっているところなんて現実少なくて「こいつに言われちゃ仕方ないから」みたいになっているので、そういうことを言うことにどれだけ意味があるのか?わかりませんが、しかし、協賛というのはそういうものです。本来は。

 

ですが、私が今回お願いしたのは「こー言う思いで、こんなに若者たちが明日の地球、明日の未来を考えてここまで主体的に動いているのに、そのことに対して見て見ぬふりをするのですか?」といういわば「情」に訴えたわけです。

 

そのことに対して、志ある市民が「金が豊かにあるわけではないが、みんなでこれを支えよう」そういう支援の輪が広がったわけです。

 

 

私は、これを書いていて、率直に涙が出るほどに嬉しいです。

 

まだまだ日本にもこーいう「推譲」の精神が残っているのか?

 

改めて見せつけてもらいました。

 

みんな、これだけの物価高で生活が苦しい中で、自分が出来ることをしよう、という気概にただただ感動するものです。

 

正直、経済人たちよりよっぽどに気持ちがいいでね。

 

最初この続きを書いたけど、読み返してそのまま公開するとよろしくないと思うので削除します。

 

はい、戻ります。

 

だから僕は、経済人でもあるけれど

 

どこまでも市民活動家。そこを大切にしたいと常日頃から思っています。

 

市民活動が高じて、経済界のいいところをまねて小田原かなごてファームという会社は作っただけですから。

 

「市民活動の底力」

 

今回は改めて、それを感じましたし、先の小田原市長選挙はまさに、一人一人は小さな市民力でも雨だれ石を穿つ。圧倒的な組織力を持つ存在に我々市民は2万票、圧倒的な大差をつけて、ほぼダブルスコアをつけて勝利したではないか?

 

 

だからね、これは私の持論で、ずっとガラスの天井に跳ね返され続けてきた時も書き続け話続けてきたことですが、また、インタビューでも必ず話したことですが

 

市民というのは普段は眠っている。しかし、この眠れる獅子は本当に目覚めれば、どんな組織をも破壊してしまうだけの力を持っている。だからこそ、粘り強く、その市民の力を信じて、ガラスの天井に跳ね返され続けても「あきらめず」コツコツとやっていくことが必要だ、と。

 

今回、多くの人の支援の輪が広がったことでかなごて流域祭は財政的には余力を持ち開催できる運びがたちました。

 

これは、私という人間を多くの市民の皆さんが「信頼」「信用」してくれたことになりません。

 

 

私は色々と歯に衣を着せず物を言いますし、書きます。ですが、私なりに、こーいう世の中にしたい、社会にしたい、という思いから戦っているにすぎません。そこに私欲はありません。

 

そーいうことも含めて信任してくれたんだな、と思っています。

 

だからこそ、かなごて流域祭は、東日本大震災・原発事故を忘れないとの思いでずっと12年やってき「おひさまマルシェ」でつちかったネットワークと信頼をかてに、皆さんの小さな小さな思いかもしれないが、それをまっとうに伝えていく必要がある、と感じています。

 

そして、若い人たちがやっていることも「応援」に拍車がかかったんだと思います。

 

皆さんから頂いた大切な大切なお賽銭。しっかり大切に活用したいと思います。